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An Imitator by Kan Kikuchi

菊池 寛『真似』(三場)


人物

聖フランチェスコ
兄弟ジョバンニ
その他の人々

アッシジの郊外

千二百七十八年頃



第一場

ある春の朝。十呎に足らぬ会堂の前。背景に二三の小さき茅葺の屋根。フランチェスコ、汚れたる褐色の衣を着、ヒーザーの茎を束にしたる箒で、会堂の前を掃いている。兄弟レオ出て来る。


レオ お師匠様、一寸托鉢に行って参ります。

フランチェスコ おおフラテ・レオか。今朝はどっちの方角へ。

レオ ペルジアの方へ行こうと思っています。

フランチェスコ あ、そう。行っておいでなさい!神よ、フラテ・レオの上に、一日の平安と幸福とを賜らんことを。アメン。

レオ ありがとうございます、では行って参ります。

(レオ去る。フランチェスコ、また箒を動かしている。弟子パチフイコ鍬を担いで来る)

フランチェスコ おおフラテ・パチフイコか。お前は鍬をかついで何処へ行くのです。

パチフイコ 昨日、スバジオの山の麓を通りかかると、女がただ一人畑を打っているのです容子を訊くと夫が二三日前から病気で畑を耕すものがないのだと云うのです。

フランチェスコ なるほど。それで今日お前は、其処へ行って、働いて上げようと云うんだな。

パチフイコ 左様でございます。

フランチェスコ それは結構です。早く行って働いてお上げなさい。

パチフイコ 父フランチェスコ、私を祝福して下さい。

フランチェスコ おお神よ、フラテ・パチフイコが、一日の労働に、従順と勤勉の徳を与え給わんことを。アメン。

パチフイコ ありがとうございます。行って参ります。

(フランチェスコ、また箒を動かしている。突然百姓姿をしたジョバンニが、飛び込んで来る)

ジョバンニ 一寸、物を訊きますだ。フランチェスコ様の御堂は此処ですかい。

フランチェスコ そうです。

ジョバンニ フランチェスコさまは、何処に御座らっしゃるだ。

フランチェスコ 私が、フランチェスコです。

ジョバンニ こらはあ、お前さまが、フランチェスコさまですか。こらはあ、お見それ申しました。どうぞ、その箒を貸して下さい。

フランチェスコ (少し駭く)いいえ、私が今掃いているところです。

ジョバンニ どうぞ、俺に貸して下さりませ。

フランチェスコ 貸せません。私は働きたいのです。働くのが私の勤めです。

ジョバンニ いいや。俺に貸して下され。俺こそ働きたいだ。

フランチェスコ 一体貴君は、何処からお出でになったのです。

ジョバンニ そんな事より、先ずその箒を貸して下され。

(ジョバンニ、無理にフランチェスコから、箒を引ったくり、会堂の前を掃き廻す)

フランチェスコ (あきれて見ていたが)一体貴君は、何処からお出でになりました。

ジョバンニ 俺は、スポレトの近くの村の百姓でがす。お前さまのことを皆が賞めるので、俺もお前さまのようになりたくて、やって来たでがす。今日は、キャベツを積んで、アッシジの町へ来たところ、お前さまの御堂が、近くだと聞いて、車も年もおっぽり出して飛んで来ただ。

フランチェスコ それはそれは。それで、私の処へ来てどうしようと云うのです。

ジョバンニ お弟子になりたいだ。

フランチェスコ 貴君などは、私の処へ来られなくても私達の兄弟です。貧しくて勤勉で善良で、そして働いている貴君は。

ジョバンニ いいや、俺は貴君のように偉い聖人さまになりたいだ。

フランチェスコ それは困りました。私は偉い人間ではありません。私はただキリストのせられた事の真似を及ばずながらしているのです。

ジョバンニ 俺も及ばずながら、これから貴君の真似をするだ。

フランチェスコ 私は、貴君に真似をせられるほど完全な人間ではないのです。

ジョバンニ いいや、俺の村の衆は皆貴君をほめているだ。キリスト様の再来のように云うているだ。フランチェスコ様の真似さえしていれば、天国へでも行かれるように云うているだ。

フランチェスコ (当惑して)そんなことを云われると、恥しくて穴へでも入りたくたります。でも、わざわざそう決心して、私の処へ来て下すった貴君を、追い返すことは出来ません。よろしい!それでは、私の真似をして下さい。私も、貴君にどんな行いを真似られても、恥しくないように気をつけましょう。そして、前よりももっと心をこめて、キリストの真似をすることにしましょう。そして私の真似をなさる貴君が間接にキリストの真似をしていることになるように致しましょう。(ひざまずく)おお神さま、あわれなる小さき者らにおん身の、いとし子なるキリストのなされしよき行いの凡てを、模倣する勇気と力とを与えたまえ。アメン。

ジョバンニ (フランチェスコの方をジロジロ見ながらひざまずき、云う通りを真似る)おお神さま。あわれなる小さき者に、御身のいとし子なるキリストのなされしよき行いの凡てを、模倣する勇気と力とを与えたまえ。アメン。

フランチェスコ (ジョバンニの真似に気づき)あはははは。

ジョバンニ あはははは。

フランチェスコ これからはお互に兄弟です。どうぞよろしく。さあ、あちらへ行きましょう。

ジョバンニ これからはお互に兄弟です。どうぞよろしく。さあ、あちらへ行きましょう。

(フランチェスコ、微笑を含みながら退場)

(ジョバンニ、その姿勢を真似ながら退場す)



第二場

フランチェスコの住んでいる茅葺の小屋。やや広し。片隅に醜い病人が、床の上に寝ている。フランチェスコひざまずいて無言にお祈りをしている。ジョバンニも、傍に居てその真似をしている。

フランチェスコ (立ち上って咳をする)えっへん!

ジョバンニ (同じく立ち上って真似る)えっへん!

(フランチェスコ、腕組みしながら、室内を歩く。ジョバンニ、その後から、同じようた姿でついて行く)

フランチェスコ さて今日は・・・こうっと。

ジョバンニ さて今日は・・・こうっと。

フランチェスコ (小さき窓の所へ行って、外を見る)いいお天気だな。

ジョバンニ (同じようにする)いいお天気だな。

フランチェスコ ああ、そうそう私はベルナルドに用事があった。

ジョバンニ 私はベルナルドに用事があった。

フランチェスコ 私は一寸行って来ようかな。

ジョバンニ 私は一寸行って来ようかな。

フランチェスコ おやおや。貴君はベルナルドを御存じですか。

ジョバンニ (おどろいて)いやいや、知りませねえだ。

フランチェスコ 知らなければ用事のある筈は、ないではありませんか。

ジョバンニ なるほど。でも、貴君が御用があるのに、俺がないと悪いと思いましただ。

フランチェスコ (微笑して)なるほど、でも、そんなに、一々私の真似をしなくってもよろしい。ただ私の行いだけの真似をすればよろしい。私の咳だとか言葉だとか歩きつきだとか、そんなことを一々真似ることは入りません。私のよい行いだけを真似して下さい。私のお勤めとか、私の祈祷とか、私の兄弟に対する態度とか病人に対する介抱とか、そんなものだけを真似して下さい。分りましたか。

ジョバンニ 分りましただ。よく分りましただ。

(フランチェスコ、台所に行き牛乳を盛りたるコップを持ち来り、病人の枕元にて無言に祈りたる後、牛乳のコップを与える)

フランチェスコ 牛乳を一杯お上りなさい。如何ですか。気分は、少しでもよくなりましたか。

病人 はい。おかげさまで、だんだん良くなるようです。いただきます。(牛乳を飲み干す)

フランチェスコ 何処か痛むところがあったら、遠慮なく仰しゃって下さい。

病人 いいえ。結構です。何処も痛むところはありません。

フランチェスコ そうですか。それでは、私はフラテ・ベルナルドの所まで行って来ます。ジョバンニさん。貴君は、私の留守の間、よくこの病人に気をつけて上げて下さい。

ジョバンニ はいはい。かしこまりましただ。

フランチェスコ 直ぐ帰って来ます。

病人 どうぞお早く。

(フランチェスコ出て行く。ジョバンニ、しばらくもじもじしていたが、やがて台所に行き、牛乳を盛りたるコップを持ち来り、病人の枕元にて無言に祈りたる後、牛乳のコップを与える)

ジョバンニ 牛乳を一杯お上りなさい。

病人 うん飲んでやろう。(ひったくるようにして、ガブガブ飲む)

ジョバンニ 如何です、気分は少しでもよくなりましたか。

病人 べらぼうめ。こんな業病を病んでいて、気分のよくなることなんかあるもんかい。

ジョバンニ 何処か痛むところはありませんか。遠慮なく仰しゃって下さい。

病人 痛いところどころか、身体中痛くない処なんか一個所だってありゃしない。第一に、足をさすってくれ。

ジョバンニ この足は、ただれているだ。こんな汚い足さすれやしねえ。

病人 (半身を起す)何だ、さすらない!この土百姓め。それでフランチェスコの弟子か。さすれったら、さすれ。

ジョバンニ 嫌だ嫌だ。こんな汚い足!

病人 さすらないな。此奴め!

(病人、足でジョバンニを蹴る)

ジョバンニ おのれ蹴ったな。

病人 蹴ったが、どうしたい。

ジョバンニ (病人に飛びかかる)この野郎、病人らしく大人しくしろ。

病人 この野郎、看病人らしく大人しくしろ。

ジョバンニ なにくそ、この野郎。

病人 なに、此奴め!

(二人格闘しているところに、フランチェスコ帰って来る。二人恥しげに、格闘を止める)

フランチェスコ ジョバンニ、貴君は何をしていたのです。

ジョバンニ お師匠様、俺はお師匠様のした通り、この男にしただ。すると、この男がお師匠さまにした通りに、俺にしねえで、汚い足をさすれと云うだ。

フランチェスコ そうですか。それは、さすって上げねばなりませぬ。私達は、病人をどんなに愛しても愛しきれません。病人の云うことは何でも聴いて上げねばなりません。(病人の傍に近寄り)どの足です。さすってあげましょう。どの足です。

病人 いいえ、結構です。それには及びません。先刻ホンの一寸痛んでいただけです。

フランチェスコ そうですか。それではジョバンニ、よく気を付けて介抱して上げて下さい。私はベルナルドと一緒にポンチウンクラヘ臨終の祈祷に行って来ます。

(フランチェスコ出て行く。ジョバンニ、やや手持無沙汰に病人よりなるべく遠い処へ行っている)

病人 おい、百姓!早く足をさすれ!

ジョバンニ お前さんは、今癒ったと云うたではねえか。

病人 何を云ってやがるんだ。こんな業病の痛みが、そうやすやすと癒って堪るものか。

ジョバンニ ・・・。

病人 早くさすれ。さすらないと、フランチェスコが帰って来ると、云い付けるぞ。

ジョバンニ (いやいや傍へ近寄る)どれ、足を出しなさい。どの足だ・・・。

病人 両方ともだ・・・。

(ジョバンニ、いやいやながら足をさすっている)

病人 フランチェスコの厄介になるのもいいが、食物がまずいのが一番閉口だ。乞食をしていた頃の方が、もっとうまい物にありつけた。

ジョバンニ じゃ、どうして乞食をしていないんだ?

病人 でも、こうしてねころがっている方が、結局楽だからな。

ジョバンニ なるほど。

病人 みんな銘々に楽なことをするといいんだ。フランチェスコは、またフランチェスコで、俺達の世話をしていい気持になっているのだ。

ジョバンニ なるほど。

病人 馬鹿!貴様までがなるほどと云う奴があるかい。まぬけた百姓面をしているなあ。

ジョバンニ 何!

病人 貴様でも、自分の面の悪口を云われると、腹を立てるなあ。ははははは。ああ、お腹が空くな。何か肉類が喰いたいな。豚の脂身のところを、わんぐりと喰いたいな。おい百姓、手前何処がへ行って、豚肉を取って来い!

ジョバンニ だって・・・。

病人 だってと云う奴があるかい。フランチェスコ様が何と仰しゃったのだ。病人の云うことは何でも聞かねばならないと云ったじゃないか。

ジョバンニ なるほど。

病人 なるほどじゃない。はいと云って直ぐ行って来い。

ジョバンニ でも、何処から取って来よう。

病人 其処ら当りに、ウイウイ鳴いているじゃないか。そいつを手当り次第に、引きずり倒して、股のところを削いで来い。

ジョバンニ なるほど。

病人 早く行って来い。

ジョバンニ よし行って来る。

(ジョバンニ、台所へ行き庖丁を持ってかけ出す)

病人 あははははは。馬鹿な百姓だな。到頭行きやがった。ああ云う奴がいるので、俺達が楽が出来るのだ.



第三場

第二場と同じ部屋。一時間ばかり時が経っている。病人寝ている.ジョバンニ豚の足を持って、駈け込んで来る。

ジョバンニ ほら、取って来たぞ。見ろ、こんなうまそうた奴だ。

病人 うむ、偉い。話せる。お前は、フランチェスコよりも、俺にはありがたいや。早く行ってあぶって来てくれ。お前にも半分やらあ。

ジョバンニ よし待っているだ!

(百姓達四人、ドヤドヤと駈け込んで来る)

百姓一 おい!今此処へ豚の足を持って、逃げ込んで来た奴はいないか。

病人 俺は知らないよ。俺はちっとも知らないよ。

百姓二 なに、此処に寝ていて知らないと云う奴があるもんか。知らないと云や、家探しだ。

百姓三 よし、こんな小さい小屋、訳はねえ。

(皆、奥へゆく。直ぐ台所から、豚の片足を握っているジョバンニを引きずり出して来る。百姓達、ジョバンニを打つ)

百姓一 太い野郎め。

百姓二 こん畜生!

百姓三 泥棒め、大泥棒め!

百姓四 どうして、俺の家の豚の足を盗んだだ。ええこら、どうして盗んだだ。

ジョバンニ だって、病人が豚を喰いたいと、云うたもの。

百姓一 病人が喰いたいと云うたら、他人の物を盗んでも、ええと云うのかい。

ジョバンニ フランチェスコ様が、病人の云うことは何でも聴けと仰しゃっただ。

百姓二 馬鹿!病人の云うことだって、盗んでまで喰わせろとは云わないだろう。

百姓三 この大泥棒め!

(皆に、小づき廻されるところへ、フランチェスコとベルナルドと帰って来る)

フランチェスコ 何うしたのです。何うしたのです。まあ、待って下さい。一体何うしたのです。

百姓 おおフランチェスコさんだ。貴君だって、責任がある。この男が、私達の豚の足を盗んだのだ。

ジョバンニ お師匠様、病人が豚の足を喰いたいと云うた。俺ゃ困ると思ったけれど、お師匠さまが病人の云うことは何でも聴いてやれ仰しゃった。で俺は一生懸命に豚を見つけて、手当り次第に、足を一本切って来ただ。

百姓 そら、ちゃんと白状したでねえか。

フランチェスコ それはまあ、大変なことをしてくれましたね。

百姓一 大変どころじゃねえ。昼日中他人の家の豚を盗むなんて。お役人様に渡して牢屋へ打ち込んで貰いたいだ。

フランチェスコ 本当に申訳ありません。どうぞ勘忍して下さい。私はどんな償いでもいたします。どうぞ勘弁して下さい。(ジョバンニに)お前は、どうしてそんな恐ろしいことをしたのでわす。私達兄弟で、モーゼの第一戒を犯したのは、お前が初めてです。早く、皆さんにお詫びを云いなさい。

ジョバンニ お師匠さま、病人の云うことは何でも・・・

フランチェスコ まあそれはそれとし、早くおわぴを云いなさい!

ジョバンニ (不承々々に)どうも、俺が悪うがした。

ベルナルド 私達の兄弟をゆるして下さい。この男は、おろかしさのためにこんなことをしたのです。

フランチエスコ (ひざまずいて)どうぞ、この男をゆるしてやって下さい。私が、病人の云うことは、何でも聴けと云いつけましたので、こんな間違いが出来たのです。神さまのために、この男のおろかしさと単純さとから犯した罪をゆるしてやって下さい。豚の償いは、どんなにでも致しますから。

ベルナルド ほんとうに、勘忍して下さい。

百姓一 豚を償うと云うならゆるしてやろう。こんど、こんな事をしたら勘弁しないから。じゃ間違いなく豚を返して下さい。

フランチェスコ 畏りました。

(百姓達去る。ジョバンニもじもじしている。フランチェスコ、ジョバンニの方へ向く)

フランチェスコ どうして、貴君は、こんな恐ろしいことをしたのです。貴君は、私のよい行いとか、お勤めとか、お祈りとか、そんなことだけを真似するのではなかったのですか。他人のものを盗むなんて、恐ろしいことです。たとい、病人の望みにしても、貴君がそんな恐ろしいことをしてもいいと云うことはありません。でも、私は貴君を憎みません。貴君は浄いおろかしさのために、このことをしたのです。私は神さまが、あなたの罪をおゆるし下さるように祈りましょう。

フランチェスコ (ひざまずいて恭しく高らかに、情熱的に祈る)神さま、あなたのあわれなる小さき 僕の一人が、犯したる罪をおゆるし下さい。あれは、本当に何も知らなかったのです。彼は浄らかなおろかさと単純さのために、それをよい事として犯したのです。貴君の大なる愛に依って、彼の罪をゆるし、彼が再びこうした恐ろしい誤ちを犯さないように、みちびきたまえ。アメン.

ジョバンニ (中途から同じように、ひざまずいて高らかに祈る)・・・あれは、本当に何も知らなかったのです。彼は浄らかなおろかさと単純さとのために、それをよいこととして犯したのです。貴君の大なる愛に依って、彼の罪をゆるし、彼が再びこうした恐ろしい誤ちを、犯さないように、みちびきたまえ。アメン。

フランチェスコ (おどろいて立ち上る)一体、誰のために祈っているのです。彼とは、誰のことです。

ジョバンニ 俺は、貴君の祈りの真似をしているのです。

フランチエスコ (呆気にとられていたが、やがてほのぼのと微笑す)おお私は、貴君に神さまのおゆるしを祈る必要はなかった。貴君はその浄らかなおろかさに依って、神と共にある。おおフラテ・ジョバンニ!

(ジョバンニの肩に右手をかける)

ジョバンニ おお貴君はその浄らかなおろかさに依って神と共にある。おおフラテ・フランチェスコ!

(フランチェスコの肩に右の手をかける)

一一 幕 一一

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