人物
杉田源右衛門 六十 所 四国の某藩、徳川家の親藩 時 慶応の末年 事情と舞台
官軍が、国境に迫って来る。一藩は恭順か佐幕かの議論に、沸騰している。今日も、城中で朝廷に恭順を奏するか、それとも宗家のために、官軍を引き受けて一戦するかに就て、評定が開かれている。 序幕
第一場おゆき (縫物の手を止めて)もうお母様、お手許が見えんじゃろう。 おあさ ああ行燈を点けて貰おうかのう。 (おゆき立ち上り、納戸より行燈を取り出し、燈心をかき立てて点火する) おあさ 眼の力が弱うなって、糸をみみそに通すのに骨が折れる。 おゆき もう、お休みなさんせ。お母様は、今日本当によくお精が出ました。 おあさ お前もよく出たのう。一一 が、こうあせって、おこしらえを急いでも、今年中に婚礼が出来るかしらん。 おゆき ・・・ おあさ こんなに世の中が、騒がしゅうなって、土佐の兵隊が何時押し寄せてくるかも知れん云うと、この先どんなことがあるかも知れん。万一戦にでもなると、東伍どのも直ぐ出なならぬと、昨日も云うておられたからのう。 おゆき (針を無意識に動かしている)・・・。 おあさ 観音寺までは、土佐の兵隊が入っとると云う噂じゃのう。 おゆき 本当にいくさが、始まるのかしら。 おあさ お前のお父様だとは、どうあっても一いくさせないかん云うて、昨日も槍や刀の手入をしておいでになった。 おゆき どうしても、いくさになるのかしら。 おあさ 御家中にも、お父様のような一徹者が多いからのう。 おゆき どうして、戦せないかんのだろう。 おあさ どうして云うて、将軍さまと禁裡さまとが、天下争いをしておいでになるのじゃもの。 おゆき お上は、どちらへお附きになるのかしら。 おあさ 侍従様は、田安様からの御養子じゃけに、御本家の将軍家には、弓を引かれん云うておいでになるのじゃけど、それかて禁裡さまにお手向いする気は、毛頭無いのじゃ。そうじゃけに御家中が、二つに意見が分れて、評定がもめるのじゃ。 おゆき こんなとき、兄さんが家に居ると、少しは気強いのじゃけど。 おあさ いや、こんなとき、源之丞が居るとどんなことにたるか知れん。またお父様と、どんな怖しいいさかいをするかも知れん。 おゆき あの時、どうして兄さんは、お父様とあんな大喧嘩をしたのかしら。 おあさ 考えていることが、丸切り反対じゃからのう。あのとき、怖しかったのう。お父様が刀を抜いて、源之丞を追い廻すのだもの。刀が、鴨居に支えなかったら源之丞はどうなっているか知れん。 おゆき 兄さんは、おたっしゃかしら。 おあさ たっしゃで、居てくれればいいと思うけれど、なにさま気性の烈しい、向不見じゃから、どうなっているか分らん。お前のお父様と兄さんとは、考えていることは、南と北のように、反対じゃけれど、気性は生き写しじゃからのう。自分がこうと思ったことには生命でも気でも惜しみはせんからのう。 おゆき 天誅組に、お入りになったと云うのは、噂だけかしら。 おあさ 天誅組に入っていたとも云い、寺田屋騒動のときに居合わしたとも言い、京都で新撰組の者に斬られたとも言うけれども、みんな確かな証拠はないのじゃ。 おゆき 生きていて下されば、どんなに嬉しいか知れはしない。 おあさ お父様は、今でも口癖のように、あんな不埒者は、どうなっても介意わん云うておじゃるけれども、心の裡ではやっぱり忘れられんと見えて、時々源之丞のことを思い出しておられるような御容子じゃ。この頃時々ぼんやり考え込んでおいでになる時だぞ、きっと源之丞のことを思い出しておられるのじゃ。お母様には、ちゃんとそれが分る。 (二人しばらく言葉なし) おゆき お帰りが遅いのう。 おあさ 御評定が、もめているのじゃろう。今日で、戦をするかせぬかが定まるのじゃけに。 (母子再ぴ言葉なし。夕闇が、だんだん家の周囲を閉す。行燈の灯が、漸く明るくたる。ふと庭の植込に人の影がうごく。源之丞である) 源之丞 母上!母上! (最初は聞えない) 源之丞 母上!母上! (娘のおゆき、先に気が付く。駭いて、母の袖を引いて耳打する) おあさ (駭きながら気丈に)誰じゃ。何者じゃ。 源之丞 (周囲を見廻しながら、急に現われて、縁側に手をつく)母上。源之丞で御座る。 おあさ (驚駭して)まあ!源之丞。 おゆき おお兄さん! おあさ まあ、お前よく帰って来たのう。よく無事でいてくれたのう。妾は、お前のことを、どんなに心配したか知れやせん。まあ、無事で何よりじゃ。 源之丞 母上にも、おたっしゃで何よりじゃ。おゆきもたっしゃで結構じゃのう。して、お父上は。 おあさ (急に眉をひそめて〕まだ、お出先からお帰りにならぬ。 源之丞 それでは、しばらくここに居てお話しいたしましょう。お父上が、お帰りになる気勢がしたら直ぐ立ち去りましょう。 おあさ お前の身の上を、どれほど案じたか分りゃせぬぞ。お父上には、内緒でも、せめて手紙の一つもことづけてくれればよいものを、家出してから、何の音沙汰もないのじゃからのう。 源之丞 お申訳ござりませぬ。私も母上のこと、又妹のこと思い出さぬでもございませぬが、何さま忙しゅうて、去年の秋は江戸に下り、夏から秋にかけては、長州から九州へ渡っておりましたから。 おあさ して、今度帰ったのは、お父さまにお詫びをして、この家を継いでくれるためかい。 源之丞 (苦笑して)源之丞には、家のことなどは念頭には御座りませぬ。大君の御国、みかどの御国のことだけしか、念頭には御座りませぬ。 おあさ (源之丞の云うことが、分らぬ如く)それならお前は何しに帰って来たのじゃ。家に落付いて、私達を欣ばしてくれるためではなかったのか。 源之丞 いいえ、そうでは御座りませぬ。家に落着く、それはこの日本国中が、落着いてから、帰って参っても遅うは御座りませぬ。どうぞ、今しばらくの間、源之丞におひまを下さいませ。 おあさ (あきらめて)して、お前は何処に在宿じゃ。 源之丞 向い地からの漁船に乗り、先刻西浜に着いたばかりで御座ります。 おあさ 家に落着くためではのうて、何の用に帰って来たのじゃ。 源之丞 精しくは、申上げられませぬ。が、無益の戦を止め、家中一統に、間違った道に踏み込まさないようにと、帰って参りました。父上は、今日いずれにおいでになりました。 おあさ お城へ上っておられるのじゃ。 源之丞 さよう、それでは先刻西浜の漁師ともが、申していたことは、本当で御座りまするな。城中で大評定があると云う噂は。 おあさ 何でも、その様な容子じゃ。 源之丞 して、一藩の気勢はいかがで御座りますか。禁裡さまへ、お味方しますか、それとも御宗家たる将軍家へ。 おあさ 妾達には、そんなことは何にも分かりませぬ。が、お前のお父様は、御宗家たる公方様へ弓を引く不忠者めかと、口癖のように云うておられる。 源之丞 (失望して)左様で御座りまするか、お父様はまだそんなことを云っておられますか。 おあさ 源之丞!お前また、お父様と、云い争いをしに、帰って来たのじゃなかろうのう。 源之丞 ・・・。 おあさ お父さまは、お前のことを、口に出しては、何にも云われんけど、心の裡では随分案じておられるのじゃぞ。あの意地張の強いお父様じゃけに、初の裡は私達が、お前の噂をすると、噂をする云うて、一寸でも口に出すと、声を立てて怒っておられたが、今では私達がヒソヒソとお前の噂をすると何となく御機嫌がいいらしいのじゃ。九月十一日はお前のお誕生じゃろう、今年も、その目の朝になって今日は源之丞の誕生日じゃ、何処に居てでもいいから、無事に居てくれればいいと、妾が心の裡に祈っていると、朝お目覚めになったお父さまが、「赤飯が喰いたくなった」と、こう仰しゃるじゃないか。(おあさ、かすかに泣く。おゆきも、それに連れて、すすり泣きの声を洩らす)お父さまのお心の裡を察して、早くお父さまにお詫びをして、家へ帰っておくれ。お母さんには、勤王とか、佐幕とか、そんな難かしい議論よりも、親子が揃うて楽しく暮すのが、一番幸福に思うのじゃ。それが、一番いいことのように思うのじゃ。 源之丞 私もそう思います。そんな時代にしたいのです。親子が満足して、幸福に暮せるような時代にしたいのです。が、世の中に間違があると云うことが解ると、それを黙っては見ていられないのです。間違った者が天下の権を擅にして、正しい者が虐げられていると云うことが分ると、私はそれを黙って見ていることが出来ないのです。世の中に間違があると云うことを知りながら、黙って見ていると云うことは卑怯な・・・ああこんなことは申上げるのではなかった。ああお母様、私は五目の裡に、京へ引返さなきゃいかないのです。が、只今は、どうも空腹で堪えられません。どうも空腹で・・・何か喰べるものをいただきたいのです。 おあさ そうだろう。忍んで、来たのじゃからのう。おゆき、お前は台所へ行って、そっとおむすびをこさえて、持っておいで。召使どもには、悟られぬようにのう。 おゆき はい、畏りました。 おあさ お父様は、お前が出奔すると、大変お怒りになって、直ぐ蒲前の勘当届をお出しになったのを知っているか。 源之丞 知っています。が、そんなことは何でもありません。 仲間の声 (遥かに)お帰りで御座います。 おあさ ああお帰りじゃ。お前は、その辺にかくれておいで。いや、あの離れの四畳半へ。あすこは〆切りになって、誰も行かないけに。直ぐ後から、食事を持たしてやるけに。 源之丞 承知しました。 (源之丞微笑を洩しながら奥へかくれる) (源右衛門、背高き老人、身体はやや衰えたれども、元気は一杯で、麻の上下を付け、右の手に刀を下げながら入って来る) おあさ (縫物をしまって挨拶する)用事にまぎれて、お出迎いが遅なわりました。お帰り遊ばしませ。 源右衛門 (ややいらいらしげに)早う着換を持って来い。 (いらいらしく、上下をかなぐり捨てる。烈しい音をさせながら、刀架に刀を置く) (おゆき着換を持って来る) 源右衛門 (着物を換えながら)女中共を山崎へ遣わして東伍を呼んで参れ。 おあさ 何ぞ、火急な用で御座りまするか。 源右衛門 うん、急用じゃ。お前進には、先に申して置くが、東伍とおゆきとの縁談は、破談にいたしたぞ。 おあさ (駭いて)ええっ! おゆき (声は出さざれども驚き甚し)・・・ おあさ それは、またどう云う訳で御座りますか。 源右衛門 (妻には答えず)おい誰か居らんか。誰か居らんのか。 女中 (出て来る)はい。 源右衛門 山崎へ参ってな、ちと火急な用事があるほどに、東伍どのに直ぐ見えるように云え。 女中 はい。(去る) おあさ 東伍殿を呼び付けて、どうなさるので御座いますか。 源右衛門 破談を申し渡すのじゃ。 おあさ 東伍殿が、何ぞお気に障るようなことをいたしましたか。 源右衛門 不所存者だから、縁を切ってやるのじゃ。今日城中の御評定で、御親藩たる御縁つづきに依って、この度はお家の御運にかけ、山内京極の兵を引受けて、一戦致すよう、申上げたに、何事ぞ東伍を初、家中の若武士が百余名連判の上で、官軍への恭順を申上げている。何と云う卑怯者共じゃ。命の惜しい卑怯者どもじゃ。祖先以来、お手厚い禄をいただいた者が、命を捨てるのは、こう云った時の御奉公より、外にはないではないか。戦ときけば、第一に走せ向うべき若武士どもが何と云う不埒な、不忠な、卑怯な、ええ思い出すだけでも、苦々しい奴じや。 (源之丞、ひそかに植込の中にて、聴いている) おあさ それで、御評定はどうなりました。 源右衛門 みんな、どいつも此奴も、臆病風に腸を吹かれ、首鼠両端を持し、一身一家の安穏ばかりを思っている腰抜ばかりじゃから、俺と矢野主馬と、二人で大義名分を説いて、到頭一戦に及ぶことに、藩論が定ったのじゃ。 (植込の中の源之丞、駭いて身を進める) おあさ それではいよいよ戦争で御座りまするか。 源右衛門 お前達、ちゃんと覚悟をして置かな、ならんぞ。何時なんどき籠城になるかも知れん。 おゆき 戦争になりましたら、味方が勝になりましょうかしら。 源右衛門 心配するな、今御当家が、将軍家のために、旗を挙げると、紀州が働き、芸州が動き、姫路の酒井侯が動く。(ふと、某処に源之丞が、置忘れてあった扇子に目を付ける)何じゃ。見なれぬ扇子じゃのう。(開いて見る)うん見事な筆蹟じゃな、なに、
なに、南海の志士、杉田源之丞の嘱に依って、薩藩小松帯刀。(源右衛門、鋭く妻及娘を見る)おあさこの扇子の持主は誰じゃ。申して見い。この扇子の持主は誰じゃ。 おあさ (色を失って言葉なし) 源右衛門 持主は誰じゃ申して見い! おあさ ・・・。 源右衛門 なに申さぬ。そちは、勘当した源之丞を引き入れたな。俺に、ひそかに引き入れたな。 おあさ 申訳御座りませぬ。 源右衛門 して、源之丞は何処に居る。何処へかくした。 おあさ お探しになってどうなさります。 源右衛門 改心いたせば勘当を許して、今度の戦の先手にしてやる。改心いたさぬとあらば、叩き斬って、軍陣の血祭にしてやる。何処じゃ、何処に隠したのじゃ。申せ、申せ。 おあさ それは申し上げられませぬ。 源右衛門 なに云わぬ!(手を延して、妻の髪に手をかけんとす) 源之丞 (植込より気軽に飛び出す)父上、母上をおいじめになってはいけません。 源右衛門 うん、源之丞だな。(怒の裡に、一味のなつかしさを蔵している) 源之丞 お久しゅう御座ります。 源右衛門 まだ、殺されてはいなかったのか。果報な奴め! 源之丞 なかなか。そう手軽には、殺されませぬ。 源右衛門 馬鹿者め!何しに立ち帰った。 源之丞 京都で承りましたところ、当藩の君臣達、進退に迷っていると聴きましたから、一大事と思いましたので、取るものも取敢ず、帰国いたしました。一藩の帰嚮を誤らぬよう、家中に遊説いたし、当松平家の社稷を全うしたいと思うています。 源右衛門 進退に迷っているなどと、たわけたことを申すな。藩論は今日の御評定でしかと決定したぞ。 源之丞 それは結構で御座りますな。して如何様に。 源右衛門 如何様に定ったもない!御親藩同様の御当家が、将軍家に敵対する土佐、京極の手を引き受けて、干戈に及ぶのは、至当の事じゃ。 源之丞 (嘆息して)お父様には、まだお目が覚めませぬな。 源右衛門 (怒って)なに、目が覚めぬ。親に向って、不埒なことを申す奴、(刀架の刀に手がかかる)直れ、それへ。 源之丞 いいえ、直りませぬ。源之丞の命は、まだ外に使い道が御座りますからな。 源右衛門 なにを! 源之丞 そう、お怒りなされず、気を静めてお聴きなされえ。お父上は、失礼ながら、かような田舎に御座るゆえ、まだ日本国中の形勢は、お判りになっておらぬのじゃ。勤王討幕の声は、潮のように、天下に充ち満ちておりまするぞ。この潮に逆らうのは昇る日の光を妨げるほどの、愚かなことだと云うことが、お判りになりませぬか。 源右衛門 なにを申す。勤王なんどと申すことは、薩長の奴輩が将軍家を倒して、我自ら天下の権を握ろうとするための口実じゃ、術数じゃ。その口実に迷うて将軍家に弓を引くと云うような、愚かなことがあるものか。彼等の口車に乗って、将軍家を倒して見い。その後に現われるものは、決して王政の復古ではないぞ。必ず毛利か島津かの天下じゃ。建武の中興を見ても直ぐ判ることじゃ。かような口車に乗って、親藩同然の御当家の家来たる貴様が、将軍に手向うなどは、敵の甘言に乗って、味方の大将の首を狙うのと同然じゃ。これほど、明かな道理が、貴様に分らないのか。 源之丞 (冷かに)さような事を申す人達に、幾人も逢いました。勤王攘夷は、薩長が幕府を倒し天下を私するための口実じゃと。薩長の中にも、左様なことを考えている者がないとは申しませぬ。がそんな人達は、自分達が策略のつもりで、点けた火が、自分達では、どうすることも出来ないほど大きくなっているのを知らない愚かな人々で御座りまする。勤王は、もはや時の勢で御座りまするぞ。勤王の勢に逆う者は、その下敷になって、踏み砕かれてしまう外はありますまい。三百年の太平を誇った幕府が、この言葉に依ってグラグラと揺ぐ出したのが、お父様のお目に入りませぬか。再度の長州征伐をどう御覧になりました。幕府の衰亡の姿と、禁裡のお勢のすさまじいこととが、お父さまのお目には見えませぬか。幕府が倒れ、天子の御世になるしるしが到る処にありありと見えています。かようなときに、まだ御宗家が大事じゃの、勤王は口実などと仰せあって、順逆の道をお誤るりになることはお父さまだけの御損では御座りませぬぞ。そうした議論こそ、当松平家を亡すばかりでなく、世の勢を逆に押して無用な血を流す間違った議論で御座りまするぞ。土佐の兵を引き受けて、一戦なさろうなどとは片腹痛い仰せじゃ。今年の春、山内侯が上海へ人を遣し、舶来の元込銃を千二百挺ばかりお買い求めになったことを、御存じありませぬか。精鋭な元込銃の前に槍と刀との武士どもを並べるのは弓の上手の前に尺二の的を並べるようなものじゃ。ハハハハハハ、これほどのことをお父上には・・・。 源右衛門 おのれ!父を軽んじ、御家を思わぬ不忠者め!不孝者め! (刀架の刀を引寄せる、源之丞、少しも怖れず) 源之丞 かような時勢がお判りになりませぬかな。時勢の移り行く様が、お目には見えませぬかな。新しい時勢の潮に乗って当松平家のお家を安泰にすると共に、一家の経綸を天下に行うことが我々志あるものの、取るべき道では御座りませぬか。 源右衛門 (源之丞に捕えられたる利腕を放たんともがきながら)貴様は一身の出世のために薩長の徒の尻馬に乗って、御宗家へ弓を引くのだな。 源之丞 (絶望して)ハハハハハハ。お父様にはこれほど明かな名分が、ハハハハハ。 源右衛門 父を嘲笑いたすのか。おのれ! (刀の柄に手をかける) 源之丞 左様なことをなされても、もはや恐れる源之丞では御座りませぬぞ。三年前の源之丞とは源之丞が違いますぞ。 源右衛門 お前は、折角藩論を覆すために来たのだな。 源之丞 御家を亡し、人を殺す、順逆を誤った戦は、源之丞一命を賭しても止めますぞ。 源右衛門 (激憤して刀を抜く)おのれ!戦の血祭にしてやる。 (源之丞に斬りかかろうとする。おあさとおゆき、源右衛門に縋り付く) 源右衛門 放せ!放せ!(妻と娘とを蹴放さんとすれども離れず、意気やや緩む) おあさ (夫を漸く制して)源之丞!武士の家に生れた其方が、父上のお言葉に背くと云うことがあるものか。 源之丞 お母さま、それもみなこの御城下に無益た血を流したくないからじゃ。負けると定った間違った戦に・・・ 源右衛門 なにを! おあさ 源之丞、言葉が過ぎますぞ。 (父子尚烈しく対しているときに、仲間があわただしく駈け込んで来る) 仲間 矢野さまより、急な書状が参りました。(書状を出す) 源右衛門 (妻を介して書状を受取って読む)何に、火急の用あり、瑚刻御来宅被下度・・・うむ。(仲間に)使の者は帰ったか。 仲間 いや、待っております。 源右衛門 よし、即刻伺うと云え。おあさ、矢野殿へ行って来るから、伜を一歩たりとも外へ出すな。 おあさ (肯く)あのう御夕食は。 源右衛門 お城で、御酒をいただいたから、まだ空腹ではない。その上に心がせく。 (源右衛門、袴を付け羽織を着る) 源右衛門 源之丞、一足でも当邸を出れば、目付に申付けてひっくくるぞ。 源之丞 (苦笑して)なに逃げもかくれも致しませぬ。 (おあさ、おゆき、源右衛門を送って去り、直ぐ引返して来る) おあさ まあ、いい仲裁じゃったのう。 源之丞 お母さま、お腹が空いています。どうぞ、先刻お願したものを。 おあさ ああ、ついうっかり忘れていました。ああおゆき、お前おむすびを持っておいで。 おゆき はい。(立ち上って去り、握り飯を持って帰って来る) 源之丞 (つづけざまに三つ四つ喰いながら)やっぱり家の御飯はおいしいなあ。お母様、家のおいしい味噌漬はありませぬか。 おあさ まあ、虫おさえに、少し喰べておいで。もう、お父様に分ったのじゃから、後でちゃんと膳をこさえて上げるから。 源之丞 (ふと憂慮を帯びて)矢野と云うのは、あの矢野主馬どので御座るのう。(考え込む)火急の用事!公用なれば、私宅へ呼ぶ筈はない。今日の評定に就ての火急の用事なら、私宅へ呼ぶ筈はない。お母様今まで、こんなお使いが見えたことが御座りまするか。 おあさ いいえ。 源之丞 今日は城中で大評定があった日じゃのう。お父さま達が、強硬に開戦を唱えたので、家中が不承無承承諾した。あやしいな、こいつは。 おあさ ええ何じゃ、何ぞ思い当ることがあるのかい。 源之丞 備前池田侯の家老、赤木総右衛門が殺られたのも、城中の評定からの帰りがけじゃ。 おあさ ええ、何じゃ。 源之丞 お父上さえなければ、開戦説は一たまりもあるまい。お母様、若武士どもは何と申しておりました。 おあさ 何でも、血気の若武士が、百人も連署して朝廷への恭順を申上げたと云うので、お父さまは、火のように怒っておられた。東伍どのも、一味したと云ってエライ御立腹で、おゆきとの縁を切ろうと仰しゃるのじゃ。 女中 (入って来る)山崎さまへ行って参りました。東伍さまは、お留守で御座ります。 おあさ ああ、御苦労、それで言伝は伝えて置いたのう。 女中 はい。 源之丞 ああ東伍にも久しく逢わぬな。彼奴には逢って話して見たいな。彼奴には、俺の勤王論をよく吹き込んで置いたからな。・・・だが矢野主馬からの使! おあさ お前、その矢野さまの使が、どうしたと云うのじゃ。 源之丞 (黙っている)... おあさ お前、お父さまのお身の上に、何ぞ不吉なことが、あるとでも思うのかい。 源之丞 矢野殿の屋敷は、内町だな。お濠端を通って、三番丁を右に。うむ、七本松へ出るな。・・・お母様、矢野の使は怪しい、合点が行かぬ。まさしく勤王を唱える者のいつわっての誘いじゃ。 おあさ ええっ、それはまことか! 源之丞 私の虫が知らせる。私の虫が知らせる。そうに違いない。 おあさ ええっ!そんなら早く、駈け付けて、駈け付けて。 源之丞 お母さま、私にお父さまを救えと、仰しゃるのですか。もし、私がお父さまの子でなかったら、お父さまを殺すのは、私かも分らない。時勢に逆って、時勢を妨げるものが、その力に砕かれるのは自然の数じゃ。それを救うことはない。それを救うのは、やっぱり時勢に逆うのじゃ。お父さまのような考え方が、お家を亡し、多くの人々をなやませるのじゃ。若武士が、お父さまを狙うのは正しい。親子でなかったら、この源之丞が手にかける。 おあさ (狂乱して)まあ、何を云うのだい。父親が九死の場合に。 おゆき お兄さま、どうぞ、お父様を。 おあさ さあ!早く、お前は、槍を持たしては、藩中に稀な腕利きじゃけに。 (長押にかけたる手槍を取って手渡そうとする) 源之丞 お母さま、私は無益な戦を止めて、松平家を救い、無用な血潮を流さないために、わざわざ走せ帰ったのです。その私が、戦争を起す発頭人のお父様を・・・。親子は親子、大義は大義じゃ。 おあさ お前、何を云うのじゃ。現在の父、肉親の父親が・・・。ああおゆき、お前は工藤さまへ行っておいで、佐竹さまへも。 おゆき はい。(駈け出す) 仲間 (色を変えて駈け付けて来る)奥様大変で御座りまする。 おあさ どうしたのじゃ。どうしたのじゃ。 仲間 矢野さまのお屋敷へ行く途中、七本松まで行きましたところ、覆面の者が五六人で旦郡を取り囲みました。 おあさ ああ、源之丞! 源之丞 (憤然として立ち上り)なに七本松! (一散に駈け出す) おあさ ああ源之丞が間に合ってくれればええが。 第二場舞台 城下七本松。遥に士族の屋敷が、闇の中に並んでいる。淋しき広場。源右衛門、手を負いながら、四人を相手にして斬り結んでいる。烈しき太刀合せ。 源右衛門 なに奴だ!名を名乗れ!名を。 (四人無言のまま、烈しく斬り込む) 源右衛門 さては、御高恩を忘れ、御宗家に弓を引かんとする姦賊どもだな。 (四人更に烈しく斬り込み、源右衛門、斬り斃さる。源之丞、まっしぐらに走って来る。四人狼狽し二人逃げ二人止る) 源之丞 父上!父上! (答なきに依って、父の死骸に取り付く) 源之丞 うむ、遅かったな。 (立ち上りざま逃げんとする、若者の一人に斬り付く。太刀先、肩をかすりたるまま、そのまま逃げ延る。源之丞憤然として、一人残りし若者に立ち向い、一刀の下に斬り倒す) 源之丞 父の敵、思い知れ! 手負いたる者 なに源之丞どのか。 源之丞 なに貴様は東伍か。 (駭いて介抱する。深手と見え、力なく倒れんとする) 源之丞 なぜ、貴様父上を斬った。勤王党の人々が、父上を斬るのは無理はない。だが貴様が手を下さいでもいいではないか。 東伍 (苦しき呼吸にて)ゆるしてくれ。籤だ!籤が当ったのだ! 源之丞 そうか、胸中は察しるぞ。だが、手は深いぞ。 東伍 うむ、介錯してくれ。 源之丞 何か遺言はないか。 東伍 ない。 源之丞 おゆきに何か云ってやれ。 東伍 ただよろしく云ってくれ。新しい御世に会わないで死ぬのが、残念じゃ。 源之丞 貴様とは、話したかったのじゃ。大君の世になるのは、もう半年とはかからぬぞ。有栖川の宮の錦旗は、この二十日に京都を出るのじゃ。俺は、参謀附の一人じや・・・(弱る手負をかき起しながら)父上が死ぬ。が、父上の時代も死ぬのじゃ。俺達の時代が来るな。東伍お前を殺したのは、残念だ。が、死ね!欣んで死ね。お前は新しい御世の磔じゃ。俺は生きて、お前と二人分の働きをしてやるぞ。
一一 幕 一一 |