『ギッシングを通して見る後期ヴィクトリア朝の社会と文化』

生誕百五十年記念

溪水社、xiii+540頁、2007年11月、8,000円)

松岡光治編

平成19年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)出版

この本は2016年4月に溪水社で品切・絶版となりましたので、
2016年5月1日にPDFファイルで一般公開させていただきます。
関心のある章を目次でクリックすれば、該当するPDFファイルが開きます。
印刷はできますが、コピー&ペイストはできません。


書 評

  1. 『英語青年』154 巻1 号(2008 年4 月号)(三宅敦子、西南学院大学)
  2. The Gissing Journal Vol. XLIV, No. 3 (Tatsuhiro Ohno, Kumamoto University)
  3. 『ギャスケル論集』第18号、2008年10月 (大野龍浩、熊本大学)
  4. 『ヴィクトリア朝文化研究』第6号、2008年11月 (橋野朋子、関西外語大学)
  5. 『ディケンズ・フェロウシップ日本支部年報』第31号、2008年11月(永岡規伊子、大阪学院短期大学)


目 次

まえがき

序 章 ギッシング小伝(ピエール・クスティヤス/松岡光治訳)

第一部【社会】

第一章 教育――そのタテ前と本音(小池 滋、東京女子大学)
 第一節 教育がオブセッションとなる時
 第二節 教育をめぐる諸問題
 第三節 ゆらぐキリスト教信仰
 第四節 精神成長をテーマとする小説

第二章 宗教――なぜ書かなかったのか(富山太佳夫、青山学院大学)
 第一節 冒険小説と貧困小説
 第二節 職探し、引越し
 第三節 遺産相続
 第四節 中心なき宗教

第三章 階級――新しい「ミドル・クラス」(新井潤美、中央大学)
 第一節 後期ヴィクトリア朝におけるロウワー・ミドル・クラス
 第二節 「ロウワー・ミドル・クラス小説」への転向
 第三節 郊外という舞台
 第四節 ヘンリー・ライクロフトの階級

第四章 貧困――貧民とその救済(石塚裕子、神戸大学)
 第一節 二人のブース
 第二節 慈善ブームと慈善団体の組織化
 第三節 貧者の天使とその実態
 第四節 ギッシングと社会主義、そして福祉国家への道程

第五章 都市――自分のいない場所がパラダイス(松岡光治、名古屋大学)
 第一節 階級の壁と都市の街路
 第二節 人間を疎外する近代都市
 第三節 都市と郊外の同一化
 第四節 現実の都会と虚構の田舎

第二部【時代】

第六章 科学――進化に背いて(村山敏勝、成蹊大学)
 第一節 科学嫌い
 第二節 実証主義
 第三節 キリスト教ダーウィニズム
 第四節 遺伝学と生物社会学

第七章 犯罪――越境する犯罪と暴力(玉井史絵、同志社大学)
 第一節 「生まれながらの犯罪者」
 第二節 貧困と犯罪
 第三節 階級を越える犯罪
 第四節 国境を越える犯罪

第八章 出版――ギッシングと定期刊行物(グレアム・ロー、早稲田大学/野々村咲子訳)
 第一節 定期刊行物市場の変貌
 第二節 連載出版へのギッシングの反応
 第三節 出版形態と文学形式
 第四節 変貌する文学市場への両価感情

第九章 影響――白鳥は悲しからずや(金山亮太、新潟大学)
 第一節 ディケンズへの片思い
 第二節 影法師に怯えて
 第三節 哲人と隠者のはざまで
 第四節 教養主義の終焉

第十章 イングリッシュネス――「南」へのノスタルジアの諸相(石田美穂子、青山学院女子短期大学)
 第一節 失われた「イギリス」を求めて
 第二節 「南の異界」への関心
 第三節 架空の田園、イングランド幻想
 第四節 イングランドから/への二重のまなざし

第三部【ジェンダー】

第十一章 フェミニズム――ギッシングと「新しい女」の連鎖(太田良子、東洋英和女学院大学) 
 第一節 メアリとファニー
 第二節 心から体へ
 第三節 「解放された女」
 第四節 余計者の男たち

第十二章 セクシュアリティ――「性のアナーキー」の時代に(中田元子、筑波大学)
 第一節 知性とセクシュアリティ
 第二節 男であることの困難
 第三節 母親のセクシュアリティ
 第四節 読書する売春婦

第十三章 身体――「退化」としての世紀末身体(武田美保子、京都女子大学)
 第一節 都市記号と身体意識
 第二節 優生学的な男性的身体の構築
 第三節 時代を映す鏡としての女性身体
 第四節 世紀末身体の魅惑と嫌悪

第十四章 結婚――結婚という矛盾に満ちた関係(木村晶子、早稲田大学)
 第一節 ギッシングの女性問題小説の背景
 第二節 結婚という不公平な関係
 第三節 結婚という金銭関係
 第四節 結婚という理想的関係

第十五章 女性嫌悪――男たちの戸惑いと抗い(田中孝信、大阪市立大学)
 第一節 流動化するジェンダーの境界景
 第二節 追い人エヴァラード
 第三節 心を閉ざす人ハーヴェイ
 第四節 ギッシングの脆き虚勢

第三部【作家】

第十六章 自己――「書く」自己/「読む」自己(新野 緑、神戸市立外国語大学)
 第一節 自伝の諸相
 第二節 「書くこと」と自己抑圧築
 第三節 「読むこと」と自己充足
 第四節 「自己」の本質

第十七章 流謫――失われたホームを求めて(小宮彩加、明治大学)
 第一節 生まれながらのエグザイル
 第二節 無階級の人々
 第三節 ホーム、スウィート・ホーム
 第四節 「これが私の望みだった」

第十八章 紀行――エグザイルの帰郷(バウア・ポストマス、アムステルダム大学/光沢隆訳)
 第一節 光かがやく古典文学の世界
 第二節 憧れの故郷、イタリア
 第三節 イタリアにおけるギッシング
 第四節 想像の世界と現実の世界

第十九章 小説技法――語りの方法と人物造型(廣野由美子、京都大学)
 第一節 自然主義的点描
 第二節 心理の流れ
 第三節 疎外の構造
 第四節 伝統と実験

第二十章 自伝的要素――分裂する書く自分と書かれる自分(宮丸裕二、中央大学)
 第一節 自伝の世紀末
 第二節 小説と自伝、混交する手法
 第三節 書く自分と書かれる自分
 第四節 自分のための文学の登場

第五部【思想】

第二十一章 リアリズム――自然主義であることの不自然さ(梶山秀雄、島根大学)
 第一節 リアリズムという病
 第二節 リアリストとは誰か
 第三節 そして「私」だけが残った
 第四節 メランコリー、そして終わりのない悲しみ

第二十二章 ヒューマニズム――時代からの亡命(ジェイコブ・コールグ、 ワシントン大学/矢次綾訳)
 第一節 荒廃した時代を証言する
 第二節 教育はあるが金のない若者
 第三節 ジョージ・エリオットの影響
 第四節 ペシミズムの希望

第二十三章 審美主義――美を通じた理想の追求(吉田朱美、北里大学)
 第一節 見ればわかる?
 第二節 「美の宗教」
 第三節 画家の使命
 第四節 歌声と道徳性

第二十四章 古典主義――ある古典主義者の肖像(並木幸充、東京理科大学)
 第一節 古典主義者ギッシング
 第二節 古典・古代の追究
 第三節 歴史小説というジャンル
 第四節 『ヴェラニルダ』の生成

第二十五章 平和主義――その気質の歴史的考察(ピエール・クスティヤス、リール大学/田村真奈美訳)
 第一節 私的・歴史的枠組
 第二節 子ども時代から世紀転換期へ
 第三節 反帝国主義と反軍国主義
 第四節 人間主義と人道主義

あとがき

年表(武井暁子)

文献一覧

図版一覧

執筆者一覧

索引

本書では、「社会」、「時代」、「ジェンダー」、「作家」、「思想」という五つの枠組の中で、それぞれに関連する五つのテーマを章として配置した。

第一部の「社会」では、イギリス人の教育についてのタテ前と本音、失業と遺産相続の角度からの貧困の描写と宗教問題の関係、労働者階級と下層中産階級の登場人物から見た後期ヴィクトリア朝の階級意識、福音主義と弱肉強食の経済政策優先のために民間の善意に委ねられた貧民の救済、都市に対するギッシングの両価感情と決定論的な見解が論考の対象となっている。

第二部の「時代」が分析しているのは、科学に対する希望を時代の風潮として理解した上で意識的に背を向けた作家の錯綜した言説、犯罪人類学のコンテクストに照らした作家の〈正常〉と〈逸脱〉をめぐる言説の揺らぎ、後期ヴィクトリア朝の変貌する文学市場と出版事情、ギッシングが受けた同時代の文学者や哲学者からの影響、後期ヴィクトリア朝から二十世紀初頭にかけてのイングリッシュネスや南欧世界への傾倒から見たギッシングの文明観と創作活動の不可分性である。

第三部の「ジェンダー」では、因襲から解放された女がオースティンからギッシングに至って「新しい女」として自立する過程、ギッシングが「性のアナーキー」の時代と呼んだ後期ヴィクトリア朝のセクシュアリティに関する言説、医科学に多大な関心を寄せた当時の人々の身体観、ヴィクトリア朝の結婚制度の弊害による矛盾した女性観、女性の権利の擁護と女嫌いの狭間における当時の男たちの戸惑いと抗いが分析されている。

第四部の「作家」で明らかにされているのは、商業化の時代に個人主義を標榜しつつ空洞化の意識に脅かされ続けた作家の自己、流動性を増したイギリス社会におけるエグザイルたちの疎外感、ギッシングの紀行文に見られる創造的想像力で構築された安住の地としての古典の世界、ギッシングの語りの性質や人物造型の方法に見られる伝統的要素と革新的要素、書く自分と書かれる自分の乖離という後期ヴィクトリア朝の自伝文学に生じた現象である。

第五部の「思想」では、後期ヴィクトリア朝の実証主義や生物学といった科学精神に根ざしたリアリズム・自然主義運動の問題、当時の中心的な思潮からの亡命者としてのギッシングと彼のヒューマニズム、社会における芸術や芸術家の存在意義と美を通した倫理意識の追求、科学的・実用的・功利的知識によって切り捨てられていった古典主義的精神の必要性が考察されている。本書の掉尾を飾るのはギッシング研究の第一人者、ピエール・クスティヤス氏による平和主義の章である。『ヘンリー・ライクロフトの私記』の中で、ギッシングは「科学が大きな戦争の時代をもたらし、それがやがて過去の幾千もの戦闘を顔色なからしめ、そして恐らく人類が苦労して得た進歩を蹂躙して血みどろな混沌状態にするだろう」(「冬」第十八章)という警告を発している。科学技術文明をもたらした近代人の理性はすべてをコントロールすることができなかった。人類の絶滅に直結する現代の核兵器開発はその反証である。北朝鮮の無思慮な核実験とアメリカ帝国主義の金融制裁の中で日本の姿勢が世界中から注目されている今、平和主義を標榜したギッシングの気質をイギリス帝国主義の歴史に照らして考察した最終章は、本書を出版する最大の意義を高らかに謳っている。


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