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ディツケンス作『クリスマス・カロル』

森田草平譯(岩波文庫 496、岩波書店、昭和四年四月二十日發行)

第三章 第二の亡靈

目 次


挿絵:ジョン・リーチ



第三章 第二の精靈

 素敵すてきもない大きな鼾を掻いてゐる最中に不圖眼を覺まして、頭を明瞭はつきりさせようと床の上に起き直りながら、スクルージは別段報告されんでも鐘が又一時を打つ處であるのを悟つた。ジエコブ・マアレイの媒介に依つて派遣された第二の使者と會議を開かうと云ふ特別の目的のためには、隨分際どい時に正氣に返つたものだと、彼は心の中で思つた。が、今度の幽靈はどの帷幄を引き寄せて這入つて來るだらうかと、それが氣になり出すと、どうも氣味惡い寒さを背中に覺えたので、彼は自分の手でそれ等の窓掛を殘らずわきへ片寄せた。それから又横になつて、鋭い眼を寝臺の周圍に放ちながら、ぢつと見張つてゐた。と云ふのは、彼も今度は精靈が出現するその瞬間に、こちらから戰ひを挑んでやらうと思つたからで、不意を打たれて、戰々おどおどするやうになつては耐ら

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ないと思つたからである。

 如才がないと云ふことと、常にぼんやりしてゐないと云ふことを自慢にしてゐる、磊落なこせつかない・・・・・たちの紳士と云ふものは、『か』と云ふやうな子供の遊戯から殺人罪に到るまで何でも覺悟してゐると云ふやうなことを云つて、冒險に對する自分の能力の範圍の廣大なことを表現するものである。成る程、この兩極端の間には、隨分廣大で包括的な問題の範圍がある。スクルージのためにこれ程大膽不敵な眞似は敢てしないでも、私は、彼が不思議な出現物の可なり廣い範圍に對して覺悟をしてゐたことを、赤ん坊と犀との間なら何が出て來てもそんなに彼を驚かせなかつたらうと云ふことを信じて貰ひたいと、諸君に向つて要求することを意とするものではない。

 處で、スクルージはまづ何物に對しても心構へはしてゐたやうなものゝ、無に對しては少しも覺悟が出來てゐなかつた。從つて、鐘が一時を打つて、何の姿も現はれなかつた時には、恐ろしい戰慄の發作に襲はれた。五分、十分、十五分と經つても、何一つ出て來ない。その間彼は寝臺の上に、燃え立つやうな赤い光の眞只中まつたゞなかに横になつてゐた。その光は、時計が一時を告げた時に、その寝臺の上を流れ出したものである。そして、それがたゞの光であつて、しかもそれが何を意味してゐるか、何をどうしようとしてゐるのか、薩張り見當を附けることが出來なかつたので、スクルージに取つては十二の妖怪が出たよりも一層驚駭すべきものであつた。時としては又その

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瞬間に自分が、それと知るだけの慰藉さへも持たないで、自然燃燒の興味ある實例に陥つてゐるのぢやあるまいかと、怖ろしくもあつた。が、最後に彼も考へ出した−−それは讀者や著者の私なら最初に考へ附いたことなのだ。と云ふのはかういう難局に當つてはどう云ふ風にせねばならぬかと云ふことを知つて、又屹度それを實行するであらう處のものは、常に難局の中にある者ではない。當事者以外の者であるからである。−−で、私は云ふ、最後に彼もこの怪しい光の本體と祕密とは隣室にあるのぢやないか、更に好くその跡を辿つて見ると、どうもその光は其處から射して來るやうだからと云ふことを考へ附いた。この考へがすつかり頭の中を占領すると、彼はそつと起き上がつて、上靴すりつぱを穿いたまゝ戸口の方へ足を引き摺りながら歩み寄つた。

 スクルージの手が錠にかゝつたその刹那、耳慣れぬ聲が彼の名を喚んで、彼に中へ這入れと命じた。彼はそれに從つた。

 それは自分の部屋であつた。それに毛頭疑ひはない。處が、それが驚くべき變化を來してゐた。四方の壁にも天井にも生々した漉tが垂れ下がつて、純然たる森のやうに見えた。その到る處に、きらきらとした赤い果實このみが露のやうに燦めいてゐた。ひひらぎや寄生木や蔦のぱりぱりする葉が光を照り返して、さながら無數の小形の鏡が散らかしてあるやうに見えた。スクルージの時代にも、マアレイの時代にも、又幾十年と云ふ過ぎ去つた冬季の間にも、この化石したやうな冴えない煖爐がついぞ經驗したことのないやうな、それはそれは盛んな火焔が煙突の中へぼうぼうと音を立て

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て燃え上つてゐた。七面鳥、鵞鳥、獵禽、家禽、野猪肉、獸肉の大腿、仔豚、膓詰の長い卷物、刻肉饅頭ミンスパイ李入り菓子プラムプツデイング、牡蠣の樽、赤く燒けてゐる胡桃、櫻色の頬をしてゐる林檎、露氣の多い蜜柑、甘くて頬の落ちさうな梨子、非常に大きなツウエルブズ・ケーク、ポンス酒の泡立つてゐる大盃などが各自の美味おいしさうな湯氣を部屋中に漲らして、一種の玉座を形造るやうに、床の上に積み上げられてゐた。この長椅子の上に、見るも愉快な、陽氣な巨人がゆつたりと構へて坐つてゐた。彼はその形に於て豐饒の角に似ないでもない一本の燃え立つ松明を持つてゐたが、スクルージが扉のうしろから覗くやうにして這入つて來た時、その光を彼に振り掛けようとして、高くそれを差し上げた。

 「お這入り!」と、幽靈は叫んだ。「お這入り! そして、もつと好くわしを御覽よ、おい!」

 スクルージはおづおづ這入つて、この幽靈の前に頭を垂れた。彼は今や以前のやうな強情なスクルージではなかつた。で、精靈の眼は朗らかな親切らしい眼ではあつたけれども、彼は眼を上げてその眼にぶつかることを好まなかつた。

 「わしは現在の降誕祭クリスマスの幽靈ぢや」と、精靈は云つた。「わしを御覽よ。」

 スクルージはう恭々しげな態度でさうした。精靈は、白い毛皮で縁取つた、濃い告Fの簡單な長衣、若しくは外套のやうなものを身にまとうてゐた。この着物は體躯からだの上にふはりと掛けてあるばかりで、その廣やかな胸は丸出しになつてゐた。その有様は、さもそんな人工的なものを用ひ

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て包んだり護つたりするには及ばないと威張つてゐるやうであつた。上衣の深い襞の下から見えてゐるその足も、矢張り裸出むきだしであつた。又その頭には、此處彼處にぴかぴか光る氷柱つらゝの下がつてゐる柊の花冠の外に、何一つ冠つてはゐなかつた。その暗褐色の捲毛は長く且ゆるやかに垂れてゐた。恰度そのにこやかな顔、きらきらしてゐる眼、開いた手、元氣の好い聲、打ちくつろいだ態度、快げな容子と同じやうにゆるやかに。又その腰の周りには古風な刀の鞘を捲いてゐた。が、その中に中味はなかつた。而もその古い鞘は銹びてぼろぼろになつてゐた。

 「お前さんは是迄わしのやうな者を見たことがないんだね!」と、精靈は叫んだ。

 「決して御座いません」と、スクルージはそれに返辭をした。

 「わしの一家の若い連中と一緒に歩いたことがなかつたかね。若い連中と云つても、(俺はその中で一番若いんだから)この近年に生まれたわしの兄さん達のことを云つてるんだよ」と、幽靈は言葉を續けた。

 「そんな事があつたやうには覺えませんが」と、スクルージは云つた。「どうも殘念ながら一緒に歩いたことはなかつたやうで御座います。御兄弟が澤山おありですか、精靈殿?」

 「千八百人からあるね」と、幽靈は云つた。

 「恐ろしく澤山の家族ですね、喰はせて行くにも」とスクルージは口の中で呟いた。

 現在の聖降誕祭の幽靈は立ち上がつた。

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「精靈殿」と、スクルージは素直に云つた、「何處へなりともお氣の向ひた所へ連れて行つて下さいませ。昨晩は仕様事なしに隨いて行きましたが、現に今私の心にしみじみ感じてゐる教訓を學びました。今晩も、何か私に教えて下さりますのなら、どうかそれに依つて利する處のあるやうにして下さいませ。」

 「わしの上衣に觸つて御覽!」

 スクルージは云はれた通りにした。そして、しつかりそれを握つた。

 柊も、寄生樹も、赤い果實も、蔦も、七面鳥も、鵞鳥も、獵禽も、家禽も、野猪肉も、獸肉も、豚も、膓詰も、牡蠣も、パイも、プッディングも、果物も、ポンス酒も、瞬く間に悉く消え失せてしまつた。同様に部屋も煖爐も、赤々と燃え立つ焔も、夜の時間も消えてしまつて、二人は聖降誕祭の朝を都の往來に立つてゐた。街上では(寒氣が嚴しかつたので)人々は各自の住家すまひの前の舗石の上や、屋根の上から雪をこそげ落しながら、暴々しい、併し快活な、氣持ちの惡くない一種の音樂を奏してゐた。屋根の上から下の往來へばたばたと雪が落ちて來て、人工の小さな吹雪となつて散亂するのを見るのは、男の子に取つては物狂ほしい喜びであつた。

 屋根の上のなめらかな白い雪の蒲團と、地面の上の稍よごれた雪とに對照して、家の正面は可なりKく、窓は一層Kく見えた。地上の雪の降り積つた表皮うはかはは、荷馬車や荷車の重たい車輪に鋤き返されて、深い皺を作つてゐた。その皺は、幾筋にも大通りの岐かれてゐる辻では、幾百度となく喰

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い違つた上を又喰ひ違つて、厚い黄色の泥濘や凍り附いた水の中に、どれがどうと見分けの附かない、縺れ合つた深い溝になつてゐた。空はどんよりして、極く短い街々ですら、半ばは溶け、半ばは凍つた薄汚い霧で先が見えなくなつてゐた。そして、その霧の中の重い方の分子は煤けた原子の驟雨となつて、恰も大英國中の煙突が悉く一致して火を點けて、思ふ存分心の行くまゝに烟を吐き出してでもゐるやうに降つて來た。この時候にも、又この都の中にも、大して陽氣なものは一つとしてなかつた。それでゐて、眞夏の澄み渡つた空氣だの照り輝く太陽だのがいくら骨を折つて發散しようとしても迚も覺束ないやうな陽氣な空氣が戸外に棚引いてゐた。

 と云ふのは、屋根の上でどしどし雪を掻き落してゐた人々が、屋根上の欄干から互ひに呼び合つたり、時々は道化た雪玉−−これは幾多の戯談口よりも遙に性質たちの好い飛道具である−−を投げ合つたり、それが旨く中つたと云つて、からからと笑つたり、又中らなかつたと云つて、同じやうにからからと笑つたりしながら、陽氣に浮かれ切つてゐたからである。鳥屋の店はまだ半分開いてゐた、果實屋の店は今日を晴れと華美を競うて照り輝いてゐた。そこには大きな、圓い、布袋腹の栗籠が幾つもあつて、陽氣な老紳士の胴衣のやうな恰好をしながら、戸口の所にぐつたりと凭れてゐるのもあれば、中氣に罹つたやうに膨れ過ぎて往來へごろごろ轉がり出してゐるのもあつた。そこには又赤々と褐色の顔をして、廣い帶を締めた西班牙種の玉葱があつて、西班牙の坊さんのやうに勢ひよく肥え太つてぴかつきながら、娘つ子が通りかゝる度に、淫奔で狡猾さ

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うな眼附きで棚の上からそつ・・と目配せしたり、吊り上げてある寄生樹を眞面目腐つた顔で見遣つたりしてゐた。(註、聖降誕祭では婦人が寄生樹の下を通ると、それに接吻してもいゝさうな。)そこには又梨子だの、林檎だのが色盛りの三色塔のやうに高く盛り上げられてゐた。そこには又葡萄の房が、店主の仁慈なさけで、通りすがりの人が無料で口に露氣を催すやうにと、人目に立つ鉤にぶら・・下げられてゐた。そこには又はしばみの實が苔が附いて褐色をして、山と積み上げられてゐた。そして、その香氣で、森の中の古い小徑や、枯れた落葉の中を踝まで没しながら足を引き摺り引き摺り愉快に歩き廻つたことを想ひ出させてゐた。そこには又肉が厚く色のKずんだノーフオーク産の林檎があつて、蜜柑や檸檬の黄色を引き立たせたり、その露氣の多い肉の締つた所で、早く紙袋に包んでお持ち歸りになつて、食後に召上れと切に懇願したり嘆願したりしてゐた。これ等の精選した果物の間には、金魚銀魚が鉢に入れて出してあつたが、そんな無~經な血の運りの惡い動物でも、世の中には何事か起つてゐると云ふことを感知してゐるやうに見えた。そして一尾殘らずゆつくりした情熱のない昂奮の下に彼等の小さな世界をぐるぐると喘ぎながら廻つてゐた。

 食料品屋! おゝ食料品屋! 恐らくは一二枚の雨戸を外して、自餘あとは大概締めてあつた。だが、その隙間からだけでも、こんな光景がずらりと見えるんだ! それは單に秤皿が帳場の上まで降りて來て愉快な音を立てゝゐるばかりではなかつた。又撚絲がそれを捲いてある軸からぐるぐると活發に離れて來るばかりではなかつた。又罐が手品を使つてゐるやうにからからと音を

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立てゝあちこち轉がつてゐるばかりではなかつた。又茶と珈琲の交じつた香氣が鼻に取つて誠に有難かつたり、乾葡萄が澤山あつて而も極上等に、巴旦杏が素敵に眞白で、肉桂の棒が長く且眞直で、その他の香料も非常に香ばしく、砂糖漬けの果物が、極めて冷淡な傍観者でも氣が遠くなつて、續いて苛々して來る程に、溶かした砂糖で固めたりまぶしたりされてゐるばかりでもなかつた。又それは無花果がじくじくとして和らかであつたばかりでも、又仏蘭西梅が盛に飾り立てた箱の中から程の好い酸味を持つて顔を赧めながら覗いてゐるばかりでも、又は何でも彼でも喰べるに好く、又聖降誕祭の装ひを凝らしてゐるばかりでもなかつた。それよりも寧ろお客が皆この日の嬉しい期待に氣が急いで夢中になつてゐるのであつた、そのために入口で互ひに突き當つて轉がつたり、柳の枝製の籠を亂暴に押し潰したり、帳場の上に買物を忘れて歸つたり、又それを取りに驅け戻つて來たりして、同じやうな間違ひを幾度となく極上の機嫌で繰返してゐるのであつた。同時に食料品屋の主人も店の者も、前垂を背中で締め着けてゐる磨き上げた心臓型の留め金は、一般の方々に見て頂くために、又お望みなら聖降誕祭の鴉どもに啄いて貰ふために、表側に懸けた彼等自身の心臓で御座いと云はぬばかりに開放的に且生々と働いてゐた。

 が、間もなく方々の尖塔(の鐘)は教會や禮拝堂に善男善女を呼び集めた。彼等は、晴れ着を着飾つて街一杯に群がりながら、さもさも愉快さうな顔を揃へて、ぞろぞろと出掛けて來た。すると、同時に數多の横町、小徑、名もない角々から、無數の人々が自分達の御馳走を麺麭屋の店

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へ搬びながら出て來た。これ等の貧しい人々の樂しさうな光景は、痛く精靈の御意に適つたと見えて、彼は麺麭屋の入口に、スクルージを自分の傍に惹き附けながら立つてゐた。そして、彼等が御馳走を持つて通る毎に蓋を取つて、松明からその御馳走の上に香料を振りかけてやつた。その松明が又普通の松明ではなかつた、と云ふのは、一度か二度御馳走を搬んで來た人達が互に押し合いへし・・合いして喧嘩を始めた時、彼はその松明から彼等の上に二三滴の水を振りかけてやつた。すると、彼等は忽ち元通りの好い機嫌になつたものだ。彼等はまた、何しろ聖降誕祭の日に喧嘩するなんて恥かしいこつたと云つたものだ。その通りだとも! 眞個まつたく、その通りだとも!

 その内に鐘の音は止んだ。そして、麺麭屋の店も閉ぢられた。併し何處の麺麭屋でもその竈の上の雪溶けの濡れた所には、それ等の御馳走やその料理の進行に伴ふのどかな影がほんのりと表はれてゐた。つまり其處では、どうやらその石まで料理されてゐるやうに、舗道が湯氣を立てゝゐたのである。

 「貴方が松明から振り掛けなさいますものには、何か特別の香味でも附いてゐますのですか」と、スクルージは訊ねた。

 「あるね。俺自身の香味だよ。」

 「それが今日のどんな御馳走にでもよくふので御座いますか」と、スクルージは訊ねた。

 「親切に出される御馳走なら、どんな御馳走にも適ふのぢや、貧しい御馳走には特に適ふんだ

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ね。」

 「何故貧しい御馳走に特に適ふので御座いますか。」

 「さう云ふ御馳走は別けてもそれが入用ぢやからね。」

 「精靈殿!」と、スクルージは一寸考へた後で云つた、「私どもの周圍のいろいろな世界のありとあらゆる存在の中で、(他の者なら兎に角)貴方がこれ等の人々の無邪氣な享樂の機會を奪はうとしてゐられると云ふことは、私にはどうも不思議でなりませんよ。」

 「わしが?」と、精靈は叫んだ。

 「七日目毎に貴方は彼等が御馳走を喫べる便宜を奪つておしまひになるんですよ。彼等が兎に角御馳走を喰べられるのはこの日位なものだと云はれてゐるその日にですね」と、スクルージは云つた。「さうぢやありませんかい。」

 「わしがだ!」と、精靈は叫んだ。

 「貴方は七日目毎にかう云ふ場所を閉めさせようとしておいでになるのでせう?」と、スクルージは云つた。「だから、同じ事になるんですよ。」

 「わしがさうしようと思つてるんだつて?」と、精靈は大きな聲で云つた。

 「間違つてゐたら御免下さい。ですが、貴方のお名前で、少なくとも貴方のお身内のお名前で、さう云ふ事をして居りますのです」と、スクルージは云つた。

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「お前方のこの世の中にはね」と、精靈は答へた、「わし達を知つてゐるやうな顔をしながら、情慾、驕慢、惡意、憎惡、嫉妬、頑迷、我利の行ひを俺達の名でやつてゐる者があるんだよ。しかも其奴等は、嘗て生きてゐたことがないやうに、俺達や、俺達の朋友親戚には一面識もない奴等なんだよ。これはよく記憶おぼえて置いて、彼奴等のしたことに就ては、彼奴等を責めるやうにして、俺達を咎めて貰ひたくないものだね。」

 スクルージはさうすると約束した。それから彼等は前と同じやうに姿を現はさないで、町の郊外へ入り込んで行つた。精靈が、その巨大な體躯にも係らず、どんな場所にもらくらくとその身を適應させることが出來たと云ふことは、又彼が低い屋根の下でも、どんな高荘な廣間ででも振舞ふことが可能であつたと同じやうに優雅しとやかに、その上いかにも~變不思議の生物らしく立つてゐたと云ふことは、彼の顯著な特質であつた。(そして、その特質をスクルージは既に麺麭屋の店で氣が附いてゐたのである。)

 精靈が眞直にスクルージの書記の家へ出掛けて行つたのは、恐らくこの精靈が彼のこの力を見せびらかすことに於て感ずる快樂のためか、それでなくば彼の持つて生れた親切にして慈悲深い、誠實なる性質と、總ての貧しき者に對する同情のためかであつた。何となれば、彼は實際出懸けて行つた、そして自分の着物につかまつてゐるスクルージを一緒に連れて行つた。それから戸口の敷居の上でにつこり笑つて、彼の松明から例の雫を振り掛けながら、ボブ・クラチツト(註、ボブはロバート

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の愛稱である。)の住居を祝bオてやらうと立ち止まつた。考へても見よ! ボブは一週間に彼自身僅かに十五ボブ(註、一ボブは一シリングの俗稱である。)を得るばかりであつた。−−彼は土曜日毎に自分の名前の僅かに十五枚を手に入れるばかりであつた。−−而も現在の基督降誕祭の精靈は彼の四間よまの家を祝bオてくれたのであつた。

 その時クラチツト夫人即ちクラチツトの細君は二度も裏返しをした着物で、粗末ながらにすつかり身繕ひをして、しかし廉くて、六ペンスにしては好く見えるリボンで華やかに飾り立てゝ出て來た。そして彼女は、これも亦リボンで飾り立てゝゐる二番目娘のベリンダ・クラチツトに手傳はせて、食卓布をひろげた。一方では、子息のピータア・クラチツトが馬鈴薯の鍋の中に肉叉を突込んだ。そして、恐ろしく大きな襯衣シャツ(この日の祝儀として、ボブが彼の子息にして嗣子なるピーターに授與したる私有財産)の襟の兩端を自分の口中に啣へながら、我ながらいかにも華々しくめかし込んだのに嬉しくなつて、流行兒の集まる公園に出懸けて自分の下着を見せたくて堪らなかつた。さて、二人の一層小さいクラチツト達、即ち男の兒と女の兒とは、麺麭屋の戸外で鵞鳥の匂ひを嗅いだが、それが自分達のだと分つたと云つて、きやあきやあ叫びながら躍り込んで來た。そして、これ等の小クラチツト達はサルビヤだの葱だのと贅澤な考へに耽りながら、食卓の周圍を躍り廻つて、ピータア・クラチツト君を口を極めて褒めそやした。その間に彼は(襯衣の襟が咽喉を締めさうになつてゐたが、別段自慢もしないで)のろのろした馬鈴薯が漸く煮え

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くり返りながら、取り出して皮を剥いてくれと、大きな音を立てゝ鍋の蓋を叩き出すまで、火を吹き熾してゐた。

 「それはさうと、お前達の大切だいじの阿父さんはどうしたんだらうね?」と、クラチツト夫人は云つた。「それからお前達の弟のちび・・のティムもだよ! それからマーサも去年の基督降誕祭には約三十分も前に歸つて來てゐたのにねえ。」

 「マーサが來ましたよ、阿母さん!」と云ひながら、一人の娘がそこに現はれた。

 「マーサが來ましたよ、阿母さん!」と、二人の小クラチツトどもは叫んだ。「萬歳! こんな鵞鳥があるよ、マーサ!」

 「まあ、どうしたと云ふんだね、マーサや、隨分遲かつたねえ!」と云ひながら、クラチツト夫人は幾度も彼女に接吻したり、彼是と世話を燒きたがつて、相手のシォールだの帽子だのを代つて取つて遣つたりした。

 「昨夜ゆうべのうちに仕上げなければならない仕事が澤山あつたのよ」と、娘は答へた、「そして、今朝は又お掃除をしなければならなかつたのでねえ、阿母さん!」

 「あゝあゝ、來たからにはもう何も云ふことはないんだよ」と、クラチツト夫人は云つた。「煖爐の前に腰をお掛けよ。そして、先づお煖まりな。本當に好かつたねえ。」

 「いけない、いけない、阿父さんが歸つていらつしやる處だ」と、何處へでもでしやばり・・・・・たが

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る二人の小さいクラチツトどもは呶鳴つた。「お隱れよ、マーサ、お隱れよ。」

 マーサは云はれるまゝに隱れた。阿父さんの小ボブは襟卷を、ふさを除いて少くとも三尺はだらりと下げて、時節柄見好いやうに繼ぎを當てたり、ブラシを掛けたりした、擦り切れた服を身に着けてゐた。そして、ちび・・のティムを肩車に載せて這入つて來た。可哀さうなちび・・のティムよ、彼は小さな撞木杖を突いて、鐵の枠で兩脚を支へてゐた。

 「えゝ、マーサは何處に居るのか」と、ボブ・クラチツトは四邉あたりを見廻しながら叫んだ。

 「まだ來ませんよ」と、クラチツト夫人は云つた。

 「まだ來ない!」と、ボブは今迄元氣であつたのが急に落膽がつかりして云つた。實際、彼は教會から歸る途すがら、ずつとティムの種馬になつて、ぴよんぴよん跳ねながら歸つて來たのであつた。「基督降誕祭だと云ふのにまだ來ないつて!」

 マーサは、たとひ冗談にもせよ、父親が失望してゐるのを見たくなかつた。で、まだ早いのに押入れの戸の蔭から出て來た。そして、彼の兩腕の中に走り寄つた。その間二人の小クラチツトどもはちび・・のティムをぐいぐい引つ張つて、鍋の中でぐつぐつ煮えてゐる肉饅頭の歌を聞かせてやらうと臺所へ連れて行つた。

 「で、ティムはどんな風でした?」とクラチツト夫人は、先づボブが輕々しく人の云ふことを本氣にするのを冷かし、ボブは又思ふ存分娘を抱き締めた後で、こう訊ねた。

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「黄金のやうに上等だつた」と、ボブは云つた。「もつと善かつたよ。あんなに永く一人で腰掛けてゐたもので、どうやらかう考へ込んでしまつたんだね。そして、誰も今迄聞いたこともないやうな不思議な事を考へてゐるんだよ。歸り途で、私にかう云ふんだ、教會の中で衆皆みんなが自分を見てくれゝば可いと思つた。何故なら自分は跛者だし、聖降誕祭の日に、誰が跛者の乞食を歩かせたり、盲人を見えるやうにして下さつたかと云ふことを想ひ出したら、あの人達も好い氣持だらうからとかう云ふんだよ。」

 皆にこの話をした時、ボブの聲は顫へてゐた。そして、ちび・・のティムも段々しつかりして達者になつて來たと云つた時には、一層それが顫へてゐた。

 せはしない・・・・・、小さな撞木杖の音が床の上に聞えた。そして、次の言葉がまだ云ひ出されないうちに、ちび・・のティムは彼の兄や姉に護られて、もう煖爐の傍の自分の床几に戻つて來た。その間ボブは袖口をまくり上げて−−氣の毒な者よ、あんな袖口がこの上までよごれやうがあるか何ぞのやうに−−ジン酒と檸檬で鉢の中に一種の熱い混合物まぜものを拵へた。そして、それをぐるぐる掻き廻してから、とろ・・火で煮るために爐側の棚の上に載せた。ピーター君と二人のちよこまか・・・・・した小クラチツトどもは鵞鳥を取りに出掛けたが、間もなくそれを持つて仰々しい行列を作つて歸つて來た。

 あらゆる鳥の中で鵞鳥を最も稀有なものと、諸君が思はれたかも知れないやうな騒ぎが續いて

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起つた。羽の生えた怪物、それに比べては、Kい白鳥も異とするに足りない−−で、實際この家では鵞鳥がまづそれと同じやうなものであつた。クラチツト夫人は肉汁(前以て小さな鍋に用意して置いた)をシューシュー煮立たせた。ピータア君は殆ど信じられないやうな力で馬鈴薯を突き潰した。ベリンダ嬢はアツプル・ソースに甘味をつけた。マーサは(湯から出し立ての)熱い皿を拭いた。ボブはちび・・のティムを食卓の小さな片隅へ連れて行つて、自分の傍に腰掛けさした。二人の小クラチツトどもは衆皆みんなのために椅子を竝べた。衆皆みんなと云ふ中には勿論自分達の事も忘れはしなかつた。そして、自分の席に就て見張りをしながら、自分達のよそつて貰ふ順番が來ないうちに早く鵞鳥が欲しいなぞと我鳴り立てゝはならないと思つて、口の中一杯に匙を押込んでゐた。到頭お皿が竝べられた。食前のお祈りも濟んだ。それからクラチツト夫人が大庖丁を手に取つて、ゆるゆるとそれを一遍竝み見渡しながら、鵞鳥の胸に突き刺さうと身構へた時、一座は息を殺してぱたりと靜かになつた。が、それを突き刺した時には、そして、永い間待ち焦れてゐた詰め物がどつと迸り出た時には、食卓の周圍から喜スの呟き聲が一齊に擧がつた。そして、ちび・・のティムでさへ二人の小クラチツトどもに勵まされて、自分の小刀の柄で食卓を叩いたり、弱々しい聲で萬歳! と叫んだりした。

 こんな鵞鳥は決して有りつこがなかつた。ボブはこんな鵞鳥がこれ迄料理されたとは思はれないなぞと云つた。その軟かさと云ひ、香氣と云ひ、大きさと云ひ、廉價なことと云ひ、皆一同の

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嘆稱の題目であつた。アツプル・ソースと潰した馬鈴薯とで補へば、家中殘らずで喰べるに十分の御馳走であつた。眞個まつたくクラチツト夫人が、(皿の上に殘つた小さな骨の破片をつくづく見遣りながら、)さも嬉しさうに云つた通り、彼等はたうとうそれを喰べ切れなかつたのだ! それでも各自は滿腹した、別けても小さい者達は眼の上までサルビヤや葱に漬かつてゐた。處が、今度はベリンダ嬢が皿を取り換へたので、クラチツト夫人は肉饅頭を取り上げて持つて來ようと、獨りでその部屋を出て行つた−−肉饅頭を取り出す處を他の者に見られることなぞ迚も我慢が出來なかつた程、彼女は~經質になつてゐたのである。

 假りにそれが十分火が通つてゐなかつたとしたら! 取り出す際に、それが壊れでもしたら! 假りに又一同の者が鵞鳥に夢中になつてゐた間に、何人かが裏庭の塀を乘り踰えて、それを盗んで行つたとしたら−−想像しただけで、二人の小クラチツトどもが蒼白になつてしまつたやうな假定である。あらゆる種類の恐怖が想像された。

 やッ! 素晴らしい湯氣だ! 肉饅頭は鍋から取り出された。洗濯日のやうな臭ひがする! それは布片であつた。互に隣り合せた料理屋とカステラ屋の又その隣りに洗濯屋がくつついてゐるやうな臭ひだ! それが肉饅頭であつた! 一分と經たないうちに、クラチツト夫人は這入つて來た−−眞赧になつて、が、得意氣ににこにこ笑ひながら−−火の點いた四半パイントの半分のブランデイでぽつぽと燃え立つてゐる、そして、その頂邉には聖降誕祭の柊を突き刺して飾り

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立てた、斑入ふいりの砲彈のやうに、いかにも硬く且しつかりした肉饅頭を持つて這入つて來た。

 おゝ、素敵な肉饅頭だ! ボブ・クラチツトは、しかも落着き拂つて、自分はそれを結婚以來クラチツト夫人が遣り遂げた成功の最も大なるものと思ふ旨を述べた。クラチツト夫人は、心の重荷が降りた今では、自分は實は粉の分量に就て懸念を抱いてゐたことを打ち明けようと思ふとも云つた。各自それに就て何とか彼とか云つた。が、何人もそれが大人數の家庭に取つては、どう見ても小さな肉饅頭であるなぞと云ふものもなければ、さう考へるものもなかつた。そんな事を云はうものなら、それこそ頭から異端である。クラチツトの家の者で、そんな事を暗示して顔を赧らめないやうな者は一人だつてなかつたらう。

 たうとう御馳走がすつかり濟んだ、食卓布は綺麗に片附けられた。煖爐も掃除されて、火が焚きつけられた。壺の調合物は味見をしたところ、申分なしとあつて、林檎と蜜柑が食卓の上に、十能に一杯の栗が火の上に載せられた。それからクラチツトの家族一同は、ボブ・クラチツトの所謂團欒(圓周)、實は半圓のことであるが、それを成して、煖爐の周圍に集つた。そして、ボブ・クラチツトの肱の傍には家中の硝子器と云ふ硝子器が飾り立てられた−−即ち水飲みのコツプ二個と、柄のないカスタード用コツプ一個と。

 これ等の容器は、それでも、黄金の大盃と同様に壺から熱い物をなみなみと受け入れた。ボブは晴れ晴れしい顔附きでそれを注いでしまつた。その間火の上にかゝつた栗はジウジウ汁を出し

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たり、パチパチ音を立てゝ割れた。それからボブは發議した。−−

 「さあ皆や、一同に聖降誕祭お目出たう。~様よ、私どもを祝bオて下さいませ。」

 家族の者一同はそれに和した。

 「~様よ、私ども一同を祝bオたまはむことを」と、皆の一番後からちび・・のティムが云つた。

 彼は阿父さんの傍にくつついて自分の小さい床几に腰掛けてゐた。ボブは彼の痩せこけた小さい手を自分の手に握つてゐた。恰もこの子が可愛くて、しつかり自分の傍に引き附けて置きたい、誰か自分の手許から引き離しやしないかと氣遣つてでもゐるやうに。

 「精靈殿!」と、スクルージは今迄に覺えのない興味を感じながら云つた。「ちび・・のティムは生きて行かれるでせうか。」

 「私にはあの貧しい爐邉に空いた席と、主のない撞木杖が大切に保存されてあるのが見えるよ。これ等の幻影が未來の手で一變されないで、このまゝ殘つてゐるものとすれば、あの子は死ぬだらうね。」

 「いえ、いゝえ」と、スクルージは云つた。「おゝ、いえ、親切な精靈殿よ、あの子は助かると云つて下さい。」

 「あゝ云ふ幻影が未來の手で變へられないで、その儘殘つてゐるとすれば、俺の種族の者達はこれから先何人だれも」と、精靈は答へた、「あの子を此處に見出さないだらうよ。で、それがどう

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したと云ふのだい? あの兒が死にさうなら、いつそ死んだ方がいゝ。そして、過剰な人口を減らした方が好い。」

 スクルージは精靈が自分の言葉を引用したのを聞いて、頭を垂れた。そして、後悔と悲嘆の情に壓倒された。

 「人間よ」と、精靈は云つた、「お前の心が石なら仕方ないが、少しでも人間らしい心を持つてゐるなら、過剰とは何か、又何處にその過剰があるかを自分で見極めないうちは、あんな好くない口癖は愼んだが可いぞ。どんな人間が生くべきで、どんな人間が死ぬべきか、それをお前が決定しようと云ふのかい。天の眼から見れば、この貧しい男の伜のやうな子供が何百萬人あつても、それよりもまだお前の方が一層下らない、一層生きる値打ちのない者かも知れないのだぞ! おゝ~よ、草葉の上の蟲けらのやうな奴が、塵芥の中に蠢いてゐる饑餓に迫つた兄弟どもの間に生命が多過ぎるなぞとほざくのを聞かうとは!」

 スクルージは精靈の非難の前に頭を垂れた。そして、顫へながら地面の上に眼を落とした。が、自分の名が呼ばれるのを聞くと、急いでその眼を擧げた。

 「スクルージさん!」と、ボブは云つた。「今日の御馳走の寄附者であるスクルージさんよ、私はあなたのために祝盃を上げます。」

 「御馳走の寄附者ですつて、本當にねえ」と、クラチツト夫人は眞赧になりながら叫んだ。

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「本當に此邉へでもあの人がやつて來て見るがいゝ、思ひさま毒づいて御馳走してやるんだのにねえ! あの人のことだから、それでも美味しがつて存分喰べることでせうよ。」

 「ねえ、お前」と、ボブは云つた。「子供達が居るぢやないか! それに聖降誕祭だよ。」

 「慥かに聖降誕祭に違ひありませんわね」と、彼女は云つた。「スクルージさんのやうな、憎らしい、けちん坊で、殘酷で、情を知らない人のために祝盃を上げてやるんですから。貴方だつてさう云ふ人だとは知つてゐるぢやありませんか、ロバート。いゝえ、何人だつて貴方程よくそれを知つてゐる者はありませんわ、可哀相に。」

 「ねえ、お前」と、ボブは穩かに返辭をした。「基督降誕祭だよ。」

 「私も貴方のために、又今日の好い日のためにあの人の健康を祝ひませうよ」とクラチツト夫人は云つた。「あの人のためぢやないんですよ。彼に壽命長かれ! 聖降誕祭お目出度う、新年お目出度う、あの人は嘸愉快で幸bナせうよ、屹度ねえ。」

 子供達は彼女に倣つて祝盃を擧げた。彼等のやつたことに眞實が籠つてゐなかつたのは、これが始めてであつた。ちび・・のティムも一番後から祝盃を擧げた。が、彼は少しもそれに氣を留めてゐなかつた。スクルージは實際この一家の食人鬼であつた。彼の名前が口にされてからと云ふもの、一座の上に暗い陰影が投げられた。そして、それはまる五分間も消えずに殘つてゐた。

 その影が消えてしまふと、彼等はスクルージと云ふ毒蟲の片が附いたと云ふ單なる安心からし

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て、前よりは十倍も元氣にはしやいだ。ボブ・クラチツトはピータア君のために一つの働き口の心當りがあることや、それが獲られたら、毎週五志半入ることなどを一同の者に話して聞かせた。二人の少年クラチツトどもはピータアが實業家になるんだと云つて散々に笑つた。そして、ピータア自身は、その眩惑させるやうな収入を受取つたら、一つ何に投資してやらうかと考へ込んででもゐるやうに、カラーの間から煖爐の火を考へ深く見詰めてゐた。それから婦人小間物商のつまらない奉公人であつたマーサは、自分がどんな種類の仕事をしなければならないかとか、一氣に何時間働かなければならないかとか、明日は休日で一日自宅に居るから、明日の朝はゆつくり骨休めをするために朝寝坊をするつもりだとか云ふことを話した。又、彼女はこの間一人の伯爵夫人と一人の華族様とを見たが、その貴公子は「恰度ピータア位の身丈せい恰好かつかうであつた」とも話した。ピータアはそれを聞くと、たとひ讀者がその場に居合せたとしても、もう彼の頭を見ることは出來なかつた程、自分のカラーを高く引張り上げたものだ。その間栗と壺とは絶えずぐるぐると廻はされてゐた。やがて一同はちび・・のティムが雪の中を旅して歩く迷兒まひごのことを歌つた歌を唄ふのを聞いた。彼は悲しげな小さい聲を持つてゐた。そして、それを大層上手に唄つた。

 これには別段取り立てゝ云ふ程のことは何もなかつた。彼等は固より立派な家族ではなかつた。彼等は身綺麗にもしてゐなかつた。彼等の靴は水が入らぬどころではなかつた。彼等の衣服は乏しかつた。ピータアは質屋の内部を知つてゐたかも知れない、どうも知つてゐるらしかつた。け

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れども、彼等は幸bナあつた、感謝の念に滿ちてゐた、お互に仲が好かつた、そして今日に滿足してゐた。で、彼等の姿がぼんやりと淡くなつて、しかも別れ際に精靈が例の松明から振り掛けてやつた煌々たる滴りの中に一層晴れやかに見えた時、スクルージは眼を放たず一同の者を見てゐた、特にちび・・のティムを最後まで見てゐた。

 その時分にはもう段々暗くなつて、雪が可なりひどく降つて來た。で、スクルージと精靈とが街上を歩いてゐた時、臺所や、客間や、その他あらゆる種類の室々で音を立てゝ燃え盛つてゐる煖爐の輝かしさと云つたら凄じかつた。此方では、チラチラする焔が、煖爐の前で十分に燒かれてゐる熱い御馳走の皿や、寒氣と暗Kとを閉め出すために、一たびは開いても直ぐに又引き下ろされようとしてゐる深紅色の窓掛と一緒になつて、小ぢんまりした愉快な晩餐の用意を表はしてゐた。彼方では、家中の子供達が自分達の結婚した姉だの、兄だの、從兄だの、伯父だの、叔母だのを出迎へて、自分こそ一番先に挨拶をしようと雪の中に走り出してゐた。又彼方には、皆頭巾を被つて毛皮の長靴を履いた一群の美しい娘さんが、一度にべちやくちや饒舌りながら、輕々と足を運んで、近所の家に出かけて行つた。そこへ彼等がぽつと上氣しながら這入つて來るのを見た獨身者は災禍わざはひなるかな−−手管のある妖女どもよ、彼等はそれを知つてゐるのである。

 處で、讀者にして若しかく親しい集會に出掛けて行く人數から判斷したとすれば、どの家も仲間を待ち設けたり、煙突の半分迄も石炭の火を積み上げたりしてはゐないで、折角お客様が其處

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へ着いても、一人も自宅にゐて出迎へてくれる者はないだらうと思はれるかも知れない。どの家にも祝bれや! いかに精靈は欣喜雀躍したことぞ! いかにその胸幅をき出しにして、大きな掌をひろげたことぞ! そして、手のとゞく限りあらゆる物の上に、その晴れやかで無害な快樂をその慈悲深い手で振り撒きながら、ふはふはと登つて行つたことぞ! 燈火の斑點で黄昏時の薄暗い街にポツポツ點を打ちながら驅けて行く點燈夫ですら、今宵を何處かで過すために好い着物に代へてゐたが、その點燈夫ですら精靈が通りかゝつた時には聲を立てゝ笑つたものだ−−聖降誕祭の外に自分の伴侶があらうとは夢にも知らなかつたけれども。

 處で、今や精靈から一言の警告もなかつたのに、突然二人は冬枯れた物寂しい沼地の上に立つた。そこには巨人の埋葬地ででもあつたかのやうに、荒い石の怖ろしく大きな塊がそちこちに轉つてゐた。水は心のまゝに何處へでも流れ擴がつてゐた。いや、結氷が水を幽閉して置かなかつたら、屹度さうしてゐたであらう。苔とはりえにしだ・・・・・・と、粗い毒々しい雜草の外には何も生えてゐなかつた。西の方に低く夕陽が一筋火のやうに眞赤な線を殘して消えてしまつた。それが一瞬間荒漠たる四邉の風物の上に、陰惨な眼のやうにあかあかとぎらついてゐたが、だんだん低く、低くその眼を顰めながら、やがて眞暗な夜の濃い暗闇の中に見えなくなつてしまつた。

 「此處はどう云ふ所で御座いますか」と、スクルージは訊ねた。

 「鑛夫どもの住んでいるところだよ、彼等は地の底で働いてゐるのだ」と、精靈は返辭をした。

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「だが、彼等は俺を知つてゐるよ、御覽!」

 一軒の小屋の窓から燈火が射してゐた。そして、それを目懸けて二人は足早に進んで行つた。泥土や石の壁を突き拔けて、眞赤な火の周りに集つてゐる愉快さうな一團の人々を見附けた。非常に年を取つた爺と媼とが、その子供達や、孫達や、それから又その下の曾孫達と一緒に、祭日の晴着に美々しく飾り立てゝゐた。その爺は不毛の荒地を哮り狂ふ風の音にとかく消壓けおされがちな聲で、一同の者に聖降誕祭の歌を唄つてやつてゐた。それは彼が少年時代の極く古い歌であつた。一同の者は時々聲を和して歌つた。彼等が聲を高めると、爺さんも屹度元氣が出て聲を高めた。が、彼等が止めてしまふと、爺さんの元氣も屹度銷沈してしまつた。

 精靈は此處に停滯してはゐなかつた、スクルージをして彼の着衣に捕まらせた、そして、沼地の上を通過しながら、さて何處へ急いだか。海へではないか。さうだ、海へ。スクルージは振り返つて、自分達の背後に陸の突端を、怖ろしげな岩石が連つてゐるのを見て慄然とした。水は自分の擦り減らした恐ろしい洞窟の中に逆捲き怒號して狂奔して、この地面を下から覆さうと烈しく押し寄せてゐたが、その水の轟々たる響には彼の耳も聾ひてしまつた。

 海岸から幾浬か離れて、一年中荒れ通しに波に衝かれ揉まれてゐる物凄い暗礁の上に、ぽつつりと寂しげな燈臺が建てられてゐた。海藻の大きな堆積がその土臺石に絡まり着いて、海鳥は−−海藻が水から生れたやうに、風から生れたかとも想はれるやうな−−彼等がその上を掬ふやう

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にして飛んでゐる波と同じやうに、その燈臺の周圍を舞ひ上つたり、舞ひ下つたりしてゐた。

 が、こんな所でさへ、燈光の番をしてゐた二人の男が火を焚いてゐた、それが厚い石の壁に造られた風窓から物凄い海の上に一條の輝かしい光線を射出した。向ひ合せに坐つてゐた荒削りの食卓越しに、ごつごつした手を握り合せながら、彼等は火酒の盃に醉つて、お互いに聖降誕祭の祝辭を述べ合つたものだ。そして、彼等の一人、しかも年長者の方が−−古い船の船首についてゐる人形が傷められ瘢痕づけられてゐるやうに、風雨のために顔中傷められ瘢痕づけられた年長者の方が、それ自身本來暴風雨はやてのやうな、頑丈な歌を唄い出した。

 再び精靈は眞Kな、絶えず持ち上げてゐる海の上を走り續けた−−何處までも、何處までも−−彼がスクルージに云つた處に據れば、どの海岸からも遙かに離れてゐるので、たうとう兎ある一艘の船の上に降りた。二人は舵車を手にした舵手や船首に立つてゐる見張り人や、當直をしてゐる士官達の傍に立つた。各自それぞれの配置に就てゐる彼等の姿は、いづれも暗く幽靈のやうに見えた。併しその中の誰も彼もが聖降誕祭の歌を口吟んだり、聖降誕祭らしいことを考へたり、又は低聲でありし昔の降誕祭の話を−−それには早く家郷へ歸りたいと云ふ希望が自然と含まれてゐるが、その希望を加へて話したりしてゐた。そして、その船に乘つてゐる者は、起きてゐようが眠つてゐようが、善い人であらうが惡い人であらうが、誰も彼もこの日は一年中のどんな日よりも、より・・親切な言葉を他人に掛けてゐた。そして、或程度まで今日の祝ひを共に樂しん

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でゐた。そして、誰も彼も自分の心に懸けてゐる遠方の人達を想ひ遣ると共に、又その遠方の人達も自分のことを想ひ出して喜んでゐることをよく承知してゐた。

 風の呻きに耳を傾けたり、又はその深さは死の様に深遠な祕密である處の未だ知られない奈落の上に擴がつてゐる寂しい暗い闇を貫いて、何處迄も進んで行くと云ふことは、何と云ふ嚴肅なる事柄であるかと考へたりして、かうして氣を取られてゐる間に、一つの心からなる笑ひ聲を聞くと云ふことは、スクルージに取つて大きな驚愕に相違なかつた。しかも、それが自分の甥の笑ひ聲だと知ることは、そして、一つの晴れやかな、乾いた、明るい部屋の中に、自分の傍に微笑しながら立つてゐる精靈と一緒に自分自身を發見すると云ふことは、スクルージに取つて一層大いなる驚愕であつた。で、その精靈はいかにも相手が氣に適つたと云ふやうな機嫌の好さで以て、その同じ甥をぢつと眺めてゐるのであつた。

 「は! は!」と、スクルージの甥は笑つた。「は、は、は!」

 若し讀者諸君にしてこのスクルージの甥よりはもつと笑ひに於て惠まれてゐる男を知るやうな機會があつたら、そんな機會はありさうにもないが、(萬々一あつたとしたら、)私の云ひ得ることはたゞこれだけである、(曰く)私も亦その男を知りたいものだと。私にその男を紹介して下さい、私はどうかしてその人と知己になりませうよ。

 疾病や悲哀に感染がある一方に、世の中には笑ひや上機嫌ほど不可抗力的に傳染するものがな

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いと云ふことは、物事の公明にして公平なる且貴き調節である。スクルージの甥がかうして脇腹を抑へたり、頭をぐるぐる廻したり、途方もないしかつらに顔を痙攣ひきつらせたりしながら笑ひこけてゐると、スクルージの姪に當るその妻も亦彼と同様にきやつきやつ・・・・・・と心から笑つてゐた。それから一座の友達どもも決してけは取らないで、どつと閧の聲を上げて笑ひ崩れた。

 「はッ、はッ、はッ、は、は、は!」

 「あの人は聖降誕祭なんて馬鹿らしいと云ひましたよ、本當にさ」と、スクルージの甥は云つた。「あの人は又さう信じてゐるんですね。」

 「一層好くないことだわ、フレツド」と、スクルージの姪は腹立たしさうに云つた。かう云ふ婦人達は愛すべきかな、彼等は何でも中途半端にして置くと云ふことはない。毎でも大眞面目である。

 彼女は非常に美しかつた。圖拔けて美しかつた。笑靨のある、吃驚したやうな、素敵な顔をして接吻されるために造られたかと思はれるやうな−−確にその通りでもあるのだが−−豐かな小さい口をしてゐた。頤の邉りには、あらゆる種類の小さな可愛らしい斑點があつて、それが笑うと一緒に溶けてしまつたものだ。それからどんな可憐な少女の頭にも見られないやうな、極めて晴れやかな一對の眼を持つてゐた。引括めて云へば、彼女は氣を揉ませるなとでも云ひたいやうな女であつた。併し世話女房式な、おゝ、何處迄も世話女房式な女であつた。

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へん・・なお爺さんですよ」と、スクルージの甥は云つた。「それが本當の所でさ。そして、もつと愉快で面白い人である筈なんだが、さうは行かないんですね。ですが、あの人の惡い事には又自然ひとりでにそれだけの報いがあるでせうから、何も私が彼是あの人を惡く云ふことはありませんよ。」

 「あの方はたいへんなお金持なのでせう、ねえフレツド」と、スクルージの姪は云ひ出して見た。「少なくとも、貴方は始終私にさう仰しやいますわ。」

 「それがどうしたと云ふの?」と、スクルージの甥は云つた。「あの人の財産はあの人に取つて何の役にも立たないのだ。あの人はそれで何等の善い事もしない。それで自分の居まわりを氣持ちよくもしない。いや、あの人はそれで行く行く僕達を好くして遣らうと−−はッ、は、は! さう考へるだけの滿足も持たないんだからね。」

 「私もうあの人には我慢出來ませんわ」と、スクルージの姪は云つた。スクルージの姪の姉妹も、その他の婦人達も皆同意見であると云つた。

 「いや、僕は我慢出來るよ」と、スクルージの甥は云つた。「僕はあの人が氣の毒なのだ。僕は怒らうと思つても、あの人には怒れないんだよ。あの人の可厭いやむら・・氣で誰が苦しむんだい? 何時でもあの人自身ぢやないか。たとへばさ、あの人は僕達が嫌ひだと云ふやうなことを思ひ附く。するともう、此處へ來て一緒に飯も喫べてくれようとはしない。で、その結果はどうだと云

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ふのだい? 大層な御馳走を喫べ損つたと云ふ譯でもないがね。」

 「實際、あの方は大層結構な御馳走を喰べ損つたんだと思ひますわ」と、スクルージの姪は相手を遮つた。他の人達も皆さうだと云つた。そして、彼等は今御馳走を喰べたばかりで、食卓の上に茶菓を載せたまゝ、洋燈を傍にして煖爐の周圍に集まつてゐたのであるから、十分審査官の資格を具へたものと認定されなければならなかつた。

 「成程! さう云はれゝば僕も嬉しいね」と、スクルージの甥は云つた。「だつて、僕は近頃の若い主婦達に餘り大した信用を置いてゐないのだからね。トッパー君、君はどう思ふね?」

 トッパーはスクルージの姪の姉妹達の一人に明らかに眼を着けてゐた。と云ふのは、獨身者は悲惨みじめな仲間外れで、さう云ふ問題に對して意見を吐く權利がないと返辭したからであつた。これを聞いて、スクルージの姪の姉妹−−薔薇を挿した方ぢやなくて、レースの半襟を掛けた肥つた方が−−顔を眞赧にした。

 「さあ、先を仰しやいよ、フレツド」と、スクルージの姪は兩手を敲きながら云つた。「この人は云ひ出した事を決してお終ひまで云つたことがない。本當に可笑しな人よ!」

 スクルージの甥は又夢中になつて笑ひこけた。そして、その感染を防ぐことは不可能であつたので−−肥つた方の妹などは香氣のある醋酸でそれを防ごうと一生懸命にやつて見たけれども−−座にある者どもは一齊に彼のお手本に倣つた。

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「僕はたゞかう云はうと思つたのさ」と、スクルージの甥は云つた。「あの人が僕達を嫌つて、僕達と一緒に愉快に遊ばない結果はね、僕が考へる處では、ちつともあの人の不利uにはならない快適な時間を失つたことになると云ふのですよ。確かにあの人は、あの黴臭ひ古事務所や、塵埃だらけの部屋の中に自分一人で考へ込んでゐたんぢや、迚も見附けられないやうな愉快な相手を失つてゐますね。あの人がかうが好くまいが、僕は毎年かう云ふ機會をあの人に與へる積りですよ。だつて僕はあの人が氣の毒で耐らないんですからね。あの人は死ぬまで聖降誕祭を罵つてゐるかも知れない。が、それに就てもつと好く考へ直さない譯にや行かないでせうよ−−僕はあの人に挑戰する−−僕が上機嫌で、來る年も來る年も、『伯父さん、御機嫌は如何ですか』と訪ねて行くのを見たらね。いや、あの憐れな書記に五十磅でも遺して置くやうな心持にして遣れたら、それだけでも何分かの事はあつた譯だからね。それに、僕は昨日あの人の心を顛動させて遣つたやうに思ふんだよ。」

 彼がスクルージの心を顛倒させたなぞと云ふのが可笑しいと云つて、今度は一同が笑ひ番になつた。が、彼は心の底から氣立ての好い人で、兎に角彼等が笑ひさへすれば何を笑はうと餘り氣に懸けてゐなかつたので、自分も一緒になつて笑つて一同の哄笑を勵ますやうにした。そして、愉快さうに瓶を廻はした。

 お茶が濟んでから、一同は二三の音樂をやつた。と云ふのは、彼等は音樂好きの一家であつた

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から。そして、グリーやキヤツチを唄つた時には、仲々皆手に入つたものであつた。殊にトッパーは巧妙な唄い手らしく最低音で唸つて退けたものだが、それを唄ひながら、格別前額に太い筋も立てなければ顔中眞赧になりもしなかつた。スクルージの姪は竪琴を上手に彈いた。そして、いろいろな曲を彈いた中に、一寸した小曲(ほん・・の詰らないもの、二分間で覺えてさつさと口笛で吹かれさうなもの)を彈いたが、これはスクルージが過去の聖降誕祭の精靈に依つて憶い出させて貰つた通りに、寄宿學校からスクルージを連れに歸つたあの女の子が好くやつてゐたものであつた。この一節が鳴り渡つたとき、その精靈が嘗て彼に示して呉れた凡ての事柄が殘らず彼の心に浮んで來た。彼の心はだんだん和いで來た。そして、數年前に幾度かこの曲を聽くことが出來たら、彼はジエコブ・マアレイを埋葬した寺男の鍬にョらずして、自分自身の手で自分の幸bフために人の世の親切を培ひ得たかも知れなかつたと考へるやうになつた。

 が、彼等も專ら音樂ばかりして、その夜を過ごしはしなかつた。暫時すると、彼等は罰金遊びを始めた。と云ふのは、時には子供になるのも好い事であるからである。そして、それには、その偉大なる創立者自身が子供である處からして、聖降誕祭の時が一番好い。まあ、お待ちなさい。まづ第一には目隱し遊びがあつた。勿論あつた。私はトッパーがその靴に眼を持つてゐたと信じないと同様に眞個まつたく盲目めくらであるとは信じない。私の意見では、彼とスクルージの甥との間にはもう話は濟んでゐるらしい。そして、現在の聖降誕祭の精靈もそれを知つてゐるのである。彼がレ

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ースの半襟を掛けた肥つた方の妹を追ひ廻はした様子といふものは、誰も知らないと思つて人を馬鹿にしたものであつた。火箸や十能に突き當たつたり、椅子を引つくり返したり、洋琴に打つ突かつたり、窓帷幄に包まつて自分ながら呼吸が出來なくなつたりして、彼女の行く所へは何處へでも隨いて行つた。彼はいつでもその肥つた娘が何處に居るかを知つてゐた。彼は他の者は一人も捕へようとしなかつた。若し諸君がわざと彼に突き當りでもしようものなら(彼等の中には實際やつたものもあつた)、彼も一旦は諸君を捕まへようと骨折つてゐるやうな素振りをして見せたことであらうが、−−それは諸君の理性を侮辱するものであらう、−−直ぐに又その肥つた娘の方へ逸れて行つてしまつたものだ。彼女はそりや公平でないと幾度も呶鳴つた。實際それは公平でなかつた。が、到頭彼は彼女を捕まへた。そして、彼女が絹の着物をさらさらと鳴らせたり、彼を遣り過ごさうとばたばた藻掻いたりしたにも係らず、彼は逃げ場のない片隅へ彼女を追い込めてしまつた。それから後の彼の所行といふものは全く不埒千萬なものであつた。と云ふのは、彼が自分に相手の誰であるかが分からないと云ふやうな振りをしたのは、彼女の頭飾りに觸つて見なけりや分らない、いや、そればかりでなく、彼女の指に嵌めた指環だの頸の周りにつけた鎖だのを抑へて見て、やつと彼女であることを確かめる必要があるやうな振りをしたのは、卑劣とも何とも言語道斷沙汰の限りであつた。他の鬼が代つてその役に當つてゐたとき、二人は帷幄の背後で大層親密にひそひそと話しをしてゐたが、彼女はその事に對する自分の意見を聞かせた

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に違ひない。

 スクルージの姪はこの目隱し遊びの仲間には入らないで、居心地のよい片隅に大きな椅子と足臺とで樂々と休息してゐた。その片隅では精靈とスクルージとが彼女の背後に近く立つてゐた。が、彼女は罰金遊びには加はつた。そして、アルファベット二十六文字殘らずを使つて自分の愛の文章を見事に組み立てた。同じやうに又『どんなに、何時、何處で』の遊びでも彼女は偉大な力を見せた。そして、彼女の姉妹達もトッパーに云はしたら、隨分敏捷な女どもには違ひないが、その敏速な女どもを散々に負かして退けた。それを又スクルージの甥は内心喜んで見てゐたものだ。若い者年老つた者、合せて二十人位はそこに居たらうが、彼等は皆殘らずそれをやつた。そして、スクルージも亦それをやつた。と云ふのは、彼も今(自分の前に)行はれてゐることの興味に引かれて、自分の聲が彼等の耳に何等の響も持たないことをすつかり忘れて、時々大きな聲で自分の推定を口にした。そして、それが又中々好く中つたものだ。何故ならば、めど・・切れがしないと保險附きのホワイトチヤペル製の一番よく尖つた針でも、ぼんやり・・・・だと自分で思ひ込んでゐるスクルージ程鋭くはないのだから。

 かう云ふ氣分で彼がゐたのは、精靈には大層氣に適つたらしい。で、彼はお客が歸つてしまふ迄こゝに居させて貰ひたいと子供のやうにせがみ出した程、精靈は御機嫌の好い體で彼を見詰めてゐた。が、それは罷りならぬと精靈は云つた。

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「今度は新しい遊戯で御座います」と、スクルージは云つた。「半時間、精靈殿、たつた半時間!」

 それは Yes and No と云ふ遊戯であつた。その遊戯ではスクルージの甥が何か考へる役になつて、他の者達は、彼が彼等の質問に、それぞれその場合に應じて、Yes とか No とか返辭をするだけで、それが何であるかを云ひ當てることになつた。彼がその衝に當つて浴びせられた、てきぱきした質問の銃火は、彼からして一つの動物に就て考へてゐることをおびき出した。それは生きてゐる動物であつた、何方かと云へば不快いやな動物、獰猛な動物であつた、時々は唸つたり咽喉を鳴らしたりする、又時には話しもする、倫敦に住んでゐて、街も歩くが、見世物にはされてゐない、又誰かに引廻はされてゐる譯でもない、野獸苑の中に住んで居るのでもないのだ、又市場で殺されるやうなことは決してない、馬でも、驢馬でも、牝牛でも、牡牛でも、虎でも、犬でも、豚でも、猫でも、熊でもないのだ。新らしい質問が掛けられる度に、この甥は新にどつと笑ひ崩れた、長椅子から立ち上つてゆかをドンドン踏み鳴らさずに居られない程に、何とも云ひようがない程擽られて面白がつた。が、たうとう例の肥つた娘が同じやうに笑ひ崩れながら呶鳴つた。−−

 「私分かりましたわ! 何だかもう知つてゐますよ、フレツド! 知つてゐますよ。」

 「ぢや何だね?」と、フレツドは叫んだ。

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「貴方の伯父さんのね、スクル−−−−ジさん!」

 確かにその通りであつた。一同はあつ・・と感嘆これを久しうした。でも、中には「熊か」と訊いた時には、「然り」と答へられべきものであつた。「否」と否定の返辭をされては、折角その方へ氣が向き掛けてゐたとしても、スクルージ氏から他の方へ考へを轉向させるに十分であつたからねと抗議した者もあるにはあつた。

 「あの人は隨分僕達を愉快にしてくれましたね、本當によ」とフレツドは云つた。「それであの人の健康を祝つて上げないぢや不都合だよ。恰度今手許に藥味を入れた葡萄酒が一瓶あるからね。さあ、始めるよ、『スクルージ伯父さん!』」

 「宜しい! スクルージの伯父さん!」と、彼等は叫んだ。

 「あの老人がどんな人であらうが、あの人にも聖降誕祭お目出度う、新年お目出度う!」と、スクルージの甥は云つた。「あの人は僕からこれを受けようとはしないだらうが、それでもまあ差し上げませうよ、スクルージの伯父さん!」

 スクルージ伯父は人には知らないまゝで氣も心も浮々と輕くなつた。で、若し精靈が時間を與へてくれさへしたら、今の返禮として自分に氣の附かない一座のために乾盃して、誰にも聞えない言葉で彼等に感謝したことであらう。が、その全場面は、彼の甥が口にした最後の一語がまだ切れない間に掻き消されてしまつた。そして、彼と精靈とは又もや旅行の途に上つた。

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 彼等は多くを見、遠く行つた。そして、いろいろな家を訪問したが、いつも幸bネ結果に終つた。精靈が病床の傍に立つと、病人は元氣になつた。異國に行けば、人々は故郷の近くにあつた。悶え苦しんでゐる人の傍に行くと、彼等は将來のより・・大きな希望を仰いで辛抱強くなつた。貧困の傍に立つと、それが富裕になつた。施療院でも、病院でも、牢獄でも、あらゆる不幸の隱棲かくれがに於て、そこでは虚榮に滿ちた人が自分の小さな果敢ない權勢を恃んで、しつかり戸を閉めて、精靈を閉め出してしまふやうなことがないからして、彼はその祝b授けて、スクルージにその教訓を垂れたのであつた。

 これが只の一夜であつたとすれば、隨分長い夜であつた。が、スクルージはこれに就て疑ひを抱いてゐた。と云ふのは、聖降誕祭の祭日全部が自分達二人で過ごして來た時間内に壓縮されてしまつたやうに見えたからである。又不思議なことには、スクルージはその外見が依然として變らないでゐるのに、精靈は段々年を取つた、眼に見えて年を取つて行つた。スクルージはこの變化に氣が附いてゐたが、決して口に出しては云はなかつた。が、到頭子供達のために開いた十二夜會(註、聖降誕祭から十二日目の夜お別れとして行ふもの)を出た時に、二人は野外に立つてゐたので、彼は精靈を見遣りながら、その毛髪が眞白になつてゐるのに氣が附いた。

 「精靈の壽命はそんなに短いものですか?」と、スクルージは訊ねた。

 「この世に於るわしの生命は極くみじかいものさ」と、精靈は答へた。「今晩お仕舞いになる

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んだよ。」

 「今晩ですつて!」と、スクルージは叫んだ。

 「今晩の眞夜中頃だよ。お聽き! その時がもう近づいてゐるよ。」

 鐘の音はその瞬間に十一時四十五分を報じてゐた。

 「こんな事をお訊ねして、若し惡かつたら何卒勘辯して下さい」と、スクルージは精靈の着物を一心に見詰めながら云つた。「それにしても、何か變梃な、貴方のお身の一部とは思はれないやうなものが、裾から飛び出してゐるやうで御座いますね。あれは足ですが、それとも爪ですか。」

 「そりや爪かも知れないね、これでもその上に肉があるからね。」と云ふのが精靈の悲しげな返辭であつた。「これを御覽よ。」

 精靈はその着物の襞の間から、二人の子供を取り出した。哀れな、賤しげな、怖ろしい、ぞつとするやうな、悲惨みじめな者どもであつた。二人は精靈の足許に跪いて、その着物の外側に縋り着いた。

 「おい、こらッ、これを見よ! この下を見て御覽!」

 彼等は男の兒と女の兒とであつた。黄色く、瘠せこけて、ぼろぼろの服装をした、顔を蹙めた、慾が深さうな、しかも自屈謙遜して平這へたばつてゐる。のんびりした若々しさが彼等の顔をはち切れ

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るやうに肥らせて、活き活きした色でそれを染めるべきところに、老齢のそれのやうな、古ぼけた皺だらけの手がそれをつねつた・・・ひねつた・・・・りして、ずたずたに引裂いてゐた。天使が玉座に即いても可いところに、惡魔が潜んで、見る者を脅し附けながら白眼にらんでゐた。不可思議なる創造のあらゆる~祕を通じて、人類の如何なる變化も、いかなる堕落も、いかなる逆轉も、それが如何なる程度のものであつても、この半分も恐ろしい不氣味な妖怪を有しなかつた。

 スクルージはぞつとして後退あとずさりした。こんな風にして子供を見せられたので、彼は綺麗なお子さん達ですと云はうとしたが、言葉の方で、そんな大それた嘘の仲間入りをするよりはと、自分で自分を喰い留めてしまつた。

 「精靈殿、これは貴方のお子さん方ですか。」スクルージはそれ以上云ふことが出來なかつた。

 「これは人間の子供達だよ」と、精靈は二人を見下ろしながら云つた。「彼等は自分達の父親を訴へながら、俺に縋り着いてゐるのだ。この男兒は無智である。この女兒は缺乏である。彼等二人ながらに氣を附けよ、彼等の階級の凡ての者を警戒せよ。が、特にこの男の子に用心するがいゝ、この子の額には、若しまだその書いたものが消されずにあるとすれば、『滅亡』とありあり書いてあるからね。それを否定して見るがいゝ!」と、精靈は片手を町の方へ伸ばしながら叫んだ。「そして、それを教へてくれる者を謗るがいゝ。それでなければ、お前の道化た目的のためにそれを承認するがいゝ。そして、そしてそれを一層惡いものにするがいゝ! そして、その結果を

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待つてゐるがいゝ!」

 「彼等は避難所も資力も持たないのですか」と、スクルージは叫んだ。

 「監獄はないのかね」と、精靈は彼自身の云つた言葉を繰返しながら、これを最後に彼の方へ振り向いて云つた。「共同授産場はないのかな。」

 鐘は十二時を打つた。

 スクルージは周圍を見廻はしながら精靈を捜したが、見當らなかつた。最後の鐘の音が鳴り止んだ時、彼は老ジエコブ・マアレイの豫言を想ひ出した。そして、眼を擧げながら地面に沿つて霧のやうに彼の方へやつて來る、着物を着流して、頭巾を被つた嚴かな幻影を見た。




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